• 定年男子のランとマネー

「規制を撤廃して自由化しよう」という議論は耳に心地よく聞こえます。

たしかに既存の制度で時代に合わなくなったものがあれば、変革していくべきでしょうね。

ただ、やみくもに撤廃してしまうと、主な受益者である消費者に無用のコストがかかることがあります。

例えば、婚姻制度はどうでしょうか?

ネット情報では、イスラムなど一夫多妻制度を持つところでは、新型コロナ禍で移動の自由が制限されて、複数いる妻側のストレスや不満が蓄積していると伝えています。(情報の信憑性は全く不明ですが 笑)

日本の公的年金制度は、一夫一婦制のもとで子供2人を持つことを基本に設計されていますが、今やこの基本モデルが、必ずしも多数派とは言えなくなって来ています。

婚姻の形態も、入籍しない事実婚や共同生活の形態をとる人たちが増加しているようです。

いまだ少数ながら、同性婚もありますね。

さらに、晩婚化の影響で、人生の後半に教育資金や住宅資金が必要になり、徐々に十分な老後資金を貯めることができない方も増えているようです。

これに少子高齢化の心配が加わると、制度を見直したほうが良いのではないかという議論になりますね。

僕も、例えば、第3号被保険者については、少し制度を見直したほうが良いように思います。

この議論の背景には、65歳以上の高齢者を支える20歳から64歳の人口構成の変遷があります。

よく出される例えでは、1965年ころには「胴上げ型」だったのが、徐々に分母が少なくなって、2010年ごろには「騎馬戦型」になり、さらに2050年ごろには「肩車型」になってしまうというものです。

しかし、人口構成の変化はその通りなのですが、少し視点を変えてみると違った風景が見えてきます。

人口の分母を「就業者」分子を「非就業者」として計算してみますと、1970年ごろには1.05人、2010年ごろには1.04人、2050年ごろには1.10人程度とほとんど変化がないのです。

(権丈善一 「ちょっと気になる社会保障V3」P4)

つまり、高齢でも働いている人は多いし、若くても働かない人は存在するので、年齢構成で人口を区分するのではなく、年金保険料を納めている「就業者」と納めていない「非就業者」で分けたほうが実態を分析するのにより適していると考えられます。

たしかに、1970年ごろは人口に占める20歳から64歳の比率は現在よりもかなり多かったのですが、高齢者や専業主婦は、現在ほどには働いていなかったので、分母になる就業者数は少なかったのだと思われます。

そう考えると、制度変更の強力な根拠が一つ、やや根拠薄弱になってしまいますね(笑)

さらに、次に議論が起こるのは、現在の「賦課方式」を「積立方式」に制度変更するということでしょうね。

個人の感覚で考えると、現役世代は自分の納めた保険料が引退した高齢者の年金に充てられ、自分たちの年金は、人数が少なくなるはずの将来世代の保険料が充てられるならば、自分たちの年金は少なくなるのが目に見えているということになります。

それに比べれば、自分が積み立てたお金を、自分が老後にもらったほうが、安心できるし明確だという考えなのでしょう。

それでは、「賦課方式」と「積立方式」の前に、話を分かりやすくするために公的年金保険と民間の保険との違いを考えてみましょう。

まず、当たり前ですが、民間の保険は(契約者が生存していれば)満期には保険料+運用益が保険契約者に返還されます。この満期返戻金を、一時金か分割かで受け取るわけですね。

満期返戻金は、通常は保険料総額よりも大きいはずですが、保険の設計上、市場の変動を受けて、場合によっては掛金総額を下回ることもあります。

例えば、自営業の方が公的年金保険料を全額未納にして、すべて民間の保険に支払ったとします。

60歳時の満期保険金が2000万円だとして、年間100万円受け取りを希望したら20年で支払い終了となります。60歳から受け取りを始めて、自分は80歳で死ぬと決まっていれば別ですが、80歳以降生存した場合には、ほとんどの場合、手元のお金以外に収入はありません。

公的年金は終身給付ですから、死ぬまで貰えます。さらに遺族年金がもらえる可能性もありますね。

また、途中で保険料を払えなくなった場合には、民間の保険は、通常は解約するか払い止めにするかの選択肢になりますが、公的年金は事情に応じて様々な猶予措置があるのに加えて、もしも払えなくなった事情が何らかの障害によるものならば、障害年金に切り替えて給付される可能性があります。

終身の給付や障害年金への切り替えは、金融理論に基づいて設計されている民間保険では不可能です。国家が運営する社会保険だから可能になると言えますね。

それでは、公的年金の年金保険料を「積立方式」に変更したときに、終身の保障は可能でしょうか?

「積立方式」に変更したときに、すでに既存の積立金を国民に分配してしまっていると仮定すれば、ある人が予想より長生きして、その人が積み立てた資金では不足が生じる場合には、あくまで終身保障を実行しようとすれば税金の投入が必要になります。

「賦課方式」では、基本的に被保険者が保険料を支払った月数だけで月額給付金額が決定されて、(マクロ経済スライドなどで変動はありますが)概ねその金額が被保険者が亡くなるまで支給されます。この原資は現役世代の保険料+税金+積立金です。

税金は主に勤労者世代が支払うものなので、「積立方式」でも長生きすれば実質的な「賦課方式」になる可能性は残りますね。

ここで考えることは、公的年金制度は、詳細に検討するとかなり複雑なので分かりにくいのですが、最も基本的なことは「保険」であるということです。

つまり多数の人間が少額のお金を出し合って、困っている人を助ける制度であって、自分が積み立てたお金を自分が受け取る貯蓄の考え方とは根本的に異なるのです。。

先ほどの自営業の方の例でいえば、公的年金保険料をゼロにしていれば、80歳以降は(ご自身で働く以外は)収入はゼロになります。もしも事故などで障害を負って働けなくなっても障害年金は無しです。(おそらく生活保護の対象になるのではないかと想像しますが、基準などが厳しいようなので何とも言えません)

このように考えてくると、「賦課方式」で現役世代に助けてもらいながら、終身受給する年金を老後生活の中核と位置づけ、余裕があれば、ほかの手段(税制優遇のあるiDeCoやNISAなど)で資産を形成して、さらに余裕があれば貯蓄や民間の保険を検討することがよさそうに思えてきますね。

最後に、最近よく議論される「ベーシックインカム」について考えてみましょう。

ベーシックインカムについては、例えば、先月から支給が始まった「特別定額補助金10万円」を毎月全国民に配ると考えると分かりやすいかもしれませんね。

10万円を1.2億人に配ると12兆円です。

1年間だと144兆円です。

現在の国家予算が100兆円を少し超えた程度で、そのうち社会保障が34兆円として、のこりは66兆円ですね。66兆円のなかには公共事業、教育、国防、地方交付金などが含まれます。これを全部やめれば毎月4万円強ならば全国民に配ることはできるかもしれません。

(国債の利払いもできませんけど 笑)

別の言い方では、医療を含めた社会保障費34兆円をすべてやめてしまうと、国民一人一人に毎月2万円強ならば配ることができるかもしれません。

でもこれでは生活できませんね。それに病気になっても治療費が高くて病院に行けないようでは困ります。

議論はいろいろとあるでしょうけれど、現実を考えると、ベーシックインカムを実行するにしても、かなり範囲と金額を限定した給付になりそうですね。

新型コロナ禍以後の日本は、当面経済が弱体化し雇用も厳しくなると個人的に予測しています。

その時に、自助努力とともに、社会保障や企業福祉について正しい知識を持つことが、大いに生活の助けになると考えています。

時代の変化に合わせて、制度を変えることは必要ですが、その前に現在の年金を含めた社会保障制度についてよく知りたいと思っています。

これからも学習を継続して、アウトプットとして、時折ブログに纏めたいと思っていますので、ご意見などを頂ければありがたいですね。

宜しくお願いします。

参考文献 権丈善一 「ちょっと気になる社会保障V3」


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