• 定年男子のランとマネー

奈良の山の辺の道は、時折桜井から天理まで走るのでよく知っています。

ところが、今日は奈良検定1級の後輩がガイドとして案内してくれるというので、

かつての職場の同期生11名が集まって、後輩の説明を聞きながら、三時間弱の散策を

楽しみました。

スタートは、JR万葉まほろば線柳本駅。

午前9時過ぎに集合して、歩き出しました。

当日の推定最高気温は26℃。高齢者ぞろいなので、熱中症と転倒の注意をしたうえでの

散策開始です。笑

ガイドさんが、最初に向かったのは「黒塚古墳」

過去の発掘調査で「三角縁神獣鏡」が33面見つかったことで有名(らしい 笑)

私は、日本の古代史はあまり興味が無いのですが、興味があったのは「道」の話。

古代の都市計画は「道」が基本で、大和には「上つ道」「中つ道」「下つ道」の三本が

通っていて、「上つ道」は明日香村の北くらいから、天理の石上神社までつながっています。

「上つ道」と「山の辺の道」との関係や、聖徳太子が明日香村から法隆寺まで、政務をとるために、馬に乗って通ったという「筋違道」の話は、先日まで住んでいた地域をまたぐ内容なので、とても面白かったですね。

職場の同期生には、古代史に関心がある人たちがいて、ガイドさんの「神武」「崇神」「応神」という「神」の名が付く天皇は3人しかいなくて、この3人が「キーパーソン」という説明に聞き入っていました。

崇神天皇については、司馬遼太郎の「街道を行く」①に、崇神天皇は朝鮮半島から渡来して、

地元の三輪族などを征服したという想像を書いていますが、ガイドさんは博識で、この説についても、考古学的見地から説明を加えていました。

「道」の話で、もう一つ面白かったのは、「太陽の道」ですね。

北緯34度32分に沿って、淡路島から伊勢まで様々な建造物が並べられているのは、

古代に何か意図があって作られたのではないか?という説です。

ガイドさんによれば、「太陽の道」は1970年代位に大ブームになって、熱心に語られたそうですが、学問的には、あまり根拠無さそうとのことでした。

私の興味があったのは、たしか「日本100マイルクラブ」というランナーの集まりが

大阪の堺市から伊勢の二見ヶ浦(?)まで夜通し走りとおす「太陽の道」ラン二ング大会(?)をやっているのを知っていたからです。

実際に友人が参加して、夜中に二上山雌岳山頂の時計台を通った話を教えてくれました。

さて、山の辺の道といえば、たくさんの歌碑がありますね。

天智天皇と天武天皇(兄弟)の間で三角関係にあった額田王が読んだ歌碑

「三輪山を しかもかくすか 雲だにも 心あらなむ かくさふべし也」

山の辺の道には、いっぱい歌碑が立てられている柿本人麻呂の

「あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が獄に 雲立ち渡る」

その他にも、自殺直前に川端康成が選んだ「大和はくにのまほろば・・」の歌碑

三島由紀夫が、三輪山に登って霊的経験をしたときの心境を現した「清明」の石碑

他にも歴史を感じさせる爪痕が沢山残っていました。

今回は柳本から巻向を通って、桧原神社を経由して大神神社に至る7キロ程度の

歩き旅でしたが、十分に古代の大和を堪能できました。

ガイドさんには感謝ですね。

大神神社から桜井の「寿司政」さんで、恒例の昼食しながらの近況報告。

70歳目前のおじさんたちが、お互いの近況を話しながら、お寿司と昼酒を楽しんで

午後3時に散会しました。

次回は9月に滋賀県で行う予定です。


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