京都市美術館の帰りに、友人に勧められて「海北友松」展を見てきました。
京都美術館は岡崎公園の中にありますが、国立美術館は京阪七条駅近くの三十三間堂の前にあります。
付け加えれば、京都美術館は豊臣秀吉が創建した方広寺の伽藍の後に建てられています。歴史を感じますね。
海北友松は中学校の美術で習った屏風絵を思い出しますが、初期と後期では画風が異なります。桃山時代の人で、明智光秀の家臣である斎藤利三やその娘の春日局との縁が深いようです。
友松が素晴らしいのは、頭角を現したのが60歳すぎということです。
「定年男子」です。
しかも当時は平均寿命が今よりはるかに短いのです。
友松の初期は60歳ごろからで、有名な「雲龍図」を描いたころでしょう。
「雲龍図」は実際に見ましたが「阿吽」の二頭の龍が目をギョロつかせながらあたりを睥睨しています。すごい迫力です。
「竹林七賢図」では人物が描かれていますが、勤倹な印象です。緊張感を感じます。
ところが後期になると余裕になります。「寒山拾得図」では寒山と拾得が心から笑いながら楽しそうにしています。酔いどれ仙人や居眠り高士を描いた図はユーモアを感じさせます。
晩年の龍図では、くたびれた感じの龍や、鼻毛が伸びたような
龍がとぼけた目でこちらを見ているようで絵を見る人を楽しませます。
屏風の絵は、後期になるとボタンなどは光の当たる角度に従って色合いを変えるなど、近代絵画に近い技法を使っているように見えました。
今回の展覧会では、60年前に米国のネルソン・アトキンス美術館に渡って以降、日本に里帰りをしていなかった「月下渓流図屏風」が展示されています。この作品は
長谷川等伯の「松林図屏風」と並び称される桃山時代の水墨画の傑作との説明が書いてありました。
桃山期は狩野派が全盛でしたが、これに対抗する二大画家が長谷川等伯と海北友松だと思います。等伯の豪華絢爛さに対して友松は水墨画を基調にした枯れた絵の中に、ユーモアや生き生きした表情を表して一味違った作品を残しています。
60歳から頭角を現した友松は、あの時代に70歳を超えて傑作や代表作を描き上げています。現代の「定年男子」にとっては、大いに夢を感じる先達です。