九州大学教授の益尾知佐子さんの「中国の行動原理」(中公新書)は、なかなか面白い。
他にも、沢山の方々が中国を研究して、発信しているけれど、この書籍の視点は、
少なくとも私にとっては、とても新鮮で、限られた私の知識と経験にも合致するものです。
何が新鮮なのかというと、中国の国家統治体制が、家庭(または一族)の統治体制の同心円上にあり、それが始皇帝の中央主権的国家統一から、二千年以上変わっていないという彼女の主張に、大いに共感を覚える次第です。
中国は、秦の始皇帝以来、武力で国家統一を成し遂げた人物が、外戚・宦官・官僚を使って、
個人に権力を集中することで、国家全体を統治してきました。
始皇帝からあとは、前漢の高祖、後漢の光武帝、唐の李世民、元のクビライ、明の朱元璋、清の3帝(康煕・雍正・乾隆)など、「徳の高い」天子が、近隣国家に崇められて、世界を支配してきました。
したがって、「徳の高い」天子が治めているのだから、中国自身は「平和国家」であり
周辺民族が騒いだ時だけ、やむなく討伐してきたと(中国人は)思っているそうです。
その本質は、彼女によれば、中国を中心とする「朝貢/柵封体制」であり、二千年継続した
世界観が、19世紀の列強侵略により破壊されたことへの喪失感があるというものです。
この世界観を復活させようとしたのが、孫文の中華民国です。
そのあとの紆余曲折を経て、最終的に中国の歴代皇帝の依鉢を継いだのが、
中国共産党の毛沢東です。毛沢東は長征や国共内戦を経て、軍事力で中国を統一して、
実質的な皇帝になりました。
毛沢東は、個人崇拝を徹底的に推し進めて、今なお天安門広場に君臨しています。
その代償として、大躍進政策などで数千万人が餓死して、中国の人口増加曲線に
凹みが生じたほどです。
その毛沢東から、激しい政争の結果、国家の依鉢を継いだのが、軍事力を掌握した鄧小平です。
鄧小平は何度も失脚しながら、しぶとく生き残って、中国の軍事を握る皇帝になったのですが、毛沢東から鄧小平に権力が移るときに、国家の根本に大きな変化が起こりました。
毛沢東は、マルクス主義を信奉して、国家を計画経済のもとに運営しようとしましたが、
鄧小平の時代には、ソ連の崩壊により、計画主義経済では、国家の発展を伴う経済運営が不可能であることが明白になったのです。
そこで鄧小平は「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」と言って、
中国の経済体制を資本主義体制に大きく変換してしまいました。
益尾教授は、この体制を政経分離キメラと呼びます。
キメラとは、生物学で、同一個体のなかに遺伝子型の異なる組織が互いに接触して存在する現象のことで、例えて言えば、中国は、頭が個人崇拝の中央集権で、身体が民主主義を基にした資本主義のキメラというわけです。
実際に、天安門事件での鄧小平の行動を見てみると、民主化勢力は軍事力を使って、徹底的に排除されたことから、見た目はどうあれ、彼は、中国二千年伝統に従って中央主権軍事体制を堅持したのです。
天安門事件の後も、中国は黒猫白猫政策を継続して、世界第2位の超大国になったわけ
ですが、身体は資本主義でも、頭は中国伝統の中央主権という体制を形成し続けたことに
なります。
おそらく米国を始めとする欧米諸国は、ギリシャ・ローマ時代以来の、自分たちの文明への信頼から、中国もいずれは民主主義国家(つまり中央主権の頭が民主化する)と信じたのでしょう。
ところがどっこい、中国二千年の歴史は、そんなに甘くはありません。
益尾教授は、中国が変化しないことを、中国の伝統的な家族制度で説明しています。
彼女は、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの説を引いて、家族の形を4つに
分類しています。
一つ目は、「絶対核家族」=親子関係が自由で、兄弟関係が不平等(英国・オランダなど)
二つ目は、「平等主義家族」=自由で平等(フランス北部など)
三つ目は、「権威主義家族(直系家族)」=権威的で不平等(日本・朝鮮半島・ドイツなど)
四つ目は、「共同体家族(家父長制)」=権威的で平等(中国・ロシアなど)
もしも、国家運営が「家父長制」でなされているのならば、家長は全権力を握る絶対主義者ですから、三権分立を基本とする民主主義は成立させませんね。
鄧小平のあとの、若干弱腰の胡錦涛政権を経た後で、習近平が国家の家長の権力を
掌握したあとは、中国古来の中央集権国家に戻ろうとしているように見えます。
ただ、習近平が、毛沢東と鄧小平と異なるところは、彼には軍事の経験がないことです。
軍事経験がない指導者に、人民解放軍・武装警察などが本当に従うのか?
また、軍事経験が無くて、軍隊を掌握し、他のすべての国家機構を一手に握った独裁者
習近平は、理想の国家指導者として、古の三皇五帝のように、徳が高くて慈悲的に
振舞うのでしょうか?
彼が元気で精力溢れるうちは、軍隊をはじめ、すべての国家機構は無条件に従うと思いますが、
69歳の独裁者に病気などで陰りが訪れたときに、全能の独裁者(または後継者)に対して
どのような反動が生じるのかも、非常に気になるところです。