この世は舞台、人はみな役者だ
この文章は、シェークスピアの喜劇「お気に召すまま」の中の有名なセリフです。
「ヴェニスの商人」にも似たようなセリフが使われています。
「この世は一つの世界だよグラシアーノ、誰もが自分の役をこなさなきゃならない舞台なのさ。僕のは悲しい役だよ」
シェークスピアは世界を舞台と見做して、そこにうごめく人間は、すべて役者であると喝破しています。
空間軸から見て、「世界が舞台」ということは、時間軸から考えると、「人生も舞台」だということになります。
人生が舞台ならば、過去から未来まで、自分の周囲で起こっていることは「劇」ということです。
「劇」に対して、ある場面では役者として参加し、違う場面では観客として鑑賞するというのが人生とも言えます。
私はフィナンシャル・プランナーなので、思考がすぐにお金に結びついてしまうのですが、
例えば、会社という舞台で主体的に会社員という役を演じているときには、出演料として
給料が支払われます。
そして、一人前の役者(会社員)になるために、会社は研修というコストを負担し、
自分自身は書籍を購入し、セミナーを受講してスキルを上げる努力をします。
つまり、よりよい舞台と演じる役を獲得するために、時間とお金をかけて努力するのです。
人は人生でいろいろな舞台を経験します。
本社勤務、地方勤務、海外勤務。
営業、企画、研究開発。
平社員、係長、課長、部長、役員。
それぞれの舞台で主役を演じることもあるでしょう。
脇役や通行人のような端役を演じる事もあります。
しかし定年退職を迎えると、舞台に立つよりも、観客として劇を見ることが増えます。
つまり、自分でお金を払って舞台を見るのです。
しかし悲しいことに、演じる役割はもちろん、舞台そのものが、徐々に少なくなります。
演じる意欲や観る意欲が衰える人もいるでしょう。
しかし、現役時代に舞台経験を重ねて、お金も使って、せっかく上手な役者になったのに、
老後にあっさりと舞台役者を引退するのは、とてももったいないと思います。
ましてや、意欲を失って、人生の舞台を観る楽しみまで失うと、人生が楽しくなくなります。
私の提言は、「自分の舞台を作ろう」です。
素晴らしい、立派な舞台でなくても、自分が楽しめる舞台ならそれでOKです。
自分が主役でなくても、脇役や通行人でも、面白ければOKだと思います。
例えば、私の住んでいる地域には、早朝の駅の周囲を清掃する人がいます。
始発の時間なので、普通は誰もいません。
そこでは、通行路や花壇の周囲が舞台になり、黙々と箒で掃いている人が主役になります。
そこへ、遠方のランニング大会に間に合うために、その日の始発に乗る私のような人が、
たまたまの観客になります。
「ご苦労様です」と声を掛ければ、私はその人の舞台で、端役を演じることになるでしょう。
そんな風に、自分の舞台は簡単に作れるのです。
私たちは、ただその舞台を楽しめばよいだけです。
先ほどのランニング大会を舞台にするならば、多少のお金が必要です。
しかし、もしもマラソンなら走っている数時間だけでなく、電車の中の緊張感、
会場に着いてからのワクワク感、終わってからの達成感が楽しめます。
その日の舞台の主役は自分自身です。
参加費用という出演料を払って、主役を演じさせてもらったのです。
老後に自由な生活を手に入れたあとで、自分の好きな舞台で好きな役を演じるために、自分が資産運用で蓄積してきたお金と人生経験を、上手く活用するのも人生の資産活用といえるのではないかと思いますね。