最近、必要があって再び社会保険の学習を始めているのですが、慶応義塾大学の権丈教授の
「ちょっと気になる政策思想」を読んでいると興味深い記述に当たりました。
学生時代にサミュエルソンの経済学を読んだ記憶では、アダムスミスの「見えざる手」と
ケインズの「合成の誤謬」が印象に残っています。
権丈先生は、「見えざる手」を信奉する経済学を「右側の経済学」と名付けて、フリードマンなどの自由放任主義につながるものとしています。(すごく大雑把な解釈ですが)
一方、ケインズの「合成の誤謬」は、個々の経営者が自由に経営を進めると、全体では不都合が生じるので、所得再分配政策を通じて経済全体の成長を図るべきものとして、これを「左側の経済学」と呼んでいます。
(これも大雑把です 笑)
自由放任主義経済学を現す言葉として、日本でもよくつかわれるのが「トリクルダウン」ですね。
これは富んだ者を、より富ませると、結婚式のシャンペンタワーのように下部にいる貧しい者にも、シャンペンが流れていくように恩恵が行き渡るという考えです。
これに対して権丈先生は、経営者が私的利益を上げようとして「新興国の賃金の低さに負けないように、労務コストを下げ続けていくと、行き着く先は新興国の賃金水準にたどり着くだけである」(「ちょっと気になる政策思想 p159」
また「確かに政治思想とは言えようが、歴史の中では経験的に確認されたことのながないために、とても経済理論とは呼べないトリクルダウン理論」(同書P170)と否定しています。
アメリカの政治で考えれば、右側の経済学を信奉し実践してきたのが歴代の共和党政権で、
これを批判して弱者救済を主張してきたのが民主党(特にバーニー・サンダースあたり)でしょうか。
(これも大雑把ですが)
「市場における個々の主体が私的利益を求めると、国民経済は過少消費という合成の誤謬に陥って、経済成長という公共善を失ことになる」(同書p176)
つまり政治を通じて個々の利益追求(市場の活動)に規制をかけて制限を加え、国民全般が利益を受けるように所得の再分配を行うのが社会保障の意義ということになりますね。
確かに、日本の政策を庶民の立場から見ていると、有効需要がないにも関わらず、投資促進政策をたくさん並べて、期待した効果が上がらずに失敗しているように見えます。(右側の経済政策)
でも身の回りを見渡せば、お金がなくて困っている人や、将来に不安を持つ人が沢山います。
彼・彼女らは、欲しいものがあっても買えない、または先の生活を考えたら我慢するしかないと思っているのでしょう。
現代の日本では、GDPの半分以上を民間消費の民間消費が占めていますが、経営者が私的利益を追求し、賃上げを行わずに利益をため込んだままにしていると、消費支出は減少してGDPは縮小(少なくとも拡大はしない)になってしまいます。
(ご参考 GDPとは 景気動向はかる指標、日本は個人消費が5割: 日本経済新聞 (nikkei.com))
現在は、企業の保有資金が増大し、政府の赤字が拡大して、民間消費を含む国民経済は成長していません。
まさに過少消費という合成の誤謬が起こっているように見えますね。
たとえば最近よく言われるベーシックインカムで少し考えてみましょう。
これもすごく大雑把な計算ですが、昨年国民一人ずつに配られた給付金10万円の合計は
約13兆円でした。
(ご参考 特別定額給付金(仮称)事業に係る留意事項について (soumu.go.jp))
仮にベーシックインカムとして国民一人ずつに毎月10万円を支給するならば、年間156兆円が必要です。
(13兆円X12か月)
現在の国家予算の約1.5倍の給付を毎年行うことになります。
このまま実行するのが不可能なのは一目瞭然ですが、
トリクルダウン理論で富むものをさらに富ませて、最終的に集めた税金を国民にばらまくという
やり方は、想像以上のコストがかかります。
それよりも、賃金引き上げを含む所得再分配政策で低所得者層への所得配分を行うことで
消費を刺激(=有効需要を喚起)して国民経済全体のパイを大きくするほうが良いでしょうね。
(左側の経済政策)
右側の経済政策は供給を刺激して需要を喚起して経済を成長させる。
左側の経済政策は所得の再分配を通じて消費(需要)を刺激し経済を成長させる。
二つの経済政策のどちらの立場をとるかで、方法と結果は大きく異なります。
社会保障政策と社会保険の役割を引き続き学習して、考えを深めていきたいと思います。