大学を卒業して社会人になった最初の勤務場所でお世話になった方が亡くなりました。
66歳です。
その方は、将来を嘱望された方でした。
その方は、銀行では本流の融資の研修を受けて、主要な現場で実務を経験し、強い権限を持つ人事部で勤務され、現場では支店長まで経験されました。
各行で違いがあると思いますが、銀行では50歳くらいで組織から除外され始めます。
つまり少数の役員候補を残して、ほかの人は外部に出ていくか、関連会社に出向します。
その方は東京勤務で、大阪勤務の僕とは実際の交流がなかったので、本当はよくわからないのですが、銀行にいた最後の頃も、出向した最初の会社でも必ずしも幸せではなかったようです。
でも僕が最後にお会いした5~6年前には、CFP資格も取得されて、将来の夢を熱く語っておられました。
そのあとは年賀状のやり取りだけでしたが、幸いにも上手く転職されてますます頑張っておられる様子が伝わってきました。
先週木曜日、大阪城公園でのトレーニングを終えて帰宅してテーブルを見ると、その方の奥様からの封書が置いてありました。
まさかと思って開封すると、そのまさかでした。
奥様とは面識はなかったのですが、葬儀はすでに近親者だけで済ませ、香典などは辞退されるとのことでしたので、その方との思い出を手紙に書き、お悔やみの言葉を添えて送りました。
世間では、長い老後をどうやって生きるのか、とか、老後資金をどうやって調達するのか?などの不安が、特に新型コロナ禍以降の社会で心配されているようです。
しかし、僕たちの年代では、ぼつぼつ亡くなる方や重い病気になる方が増えてきます、
生き残ってしまって長く生きたらどうするのか?というのは、確かに重く重要な命題です。
でも思ったより早く死んでしまったらどうなるのか?というのも大きな課題です。
僕も含めて、普通人は死ぬことを考えながら、毎日を生きているわけではありません。
もちろん、いつかは死ぬということを頭ではわかっています。
でも身体で分かっているかというと、どうもそうではないようです。
死ぬことを前提に人生を考えて行動している人は、全体でみれば少数でしょう。
(たぶん修行僧はそうかもしれませんね)
FPとしては、万一に備えて遺言書の準備をするとか、家族信託や任意後見人の検討を始めたほうが良いなどとアドバイスするのでしょうけれど、一人の人間としては、最後の瞬間にどうやって悔いを残さないかを考えるほうを優先します。
貯めていた老後のお金が要らなくなって、余った(苦笑)お金を全部家族に残したい人は、遺言などの手段を検討したほうが良いと思います。
でも、もしもこの世にあまり執着が無くて、自分が亡くなっても家族親族が経済的に困らない状態ならば、適宜家族に配分した後に残ったお金があればどこかに寄付してしまったほうが、本人は幸せだし、遺族も諦めがつくのではないかなと考えだしています。
「余ったお金」というのは難しい考え方で、それがいくらかというのは人によって違うのでしょうけれど、亡くなる方が独断的に決めてしまってよいと思いますね。
争族が起こって家族がバラバラになるのは本意ではないでしょう。
それに死んでしまえば、残ったお金について本人はどうしようもないのですからね。(笑)