50代後半に趣味のランニングに割く時間が多くなるにつれて、一日が24時間では足りないなあと思うようになりました。
でも時間は全人類に平等に与えられているものなので、自分だけ増やしてもらうわけにはいきません。(笑)
はじめは、精緻なライフプランを考えて、計画的に時間を使っていこうと思いましたが、
子供のころから計画を計画通りに実行するのは苦手で、上手くいきません。
そこで、毎日実践出来ることは何かと考えて、「生活時間3分割法」を思いつきました。
睡眠以外の生活時間を3分割して、それぞれでやりたいこと・やるべきことに使うのです。
寝る時間を除いて、残りを3つに割るのですが、均等に割ることは物理的にはむつかしいので、意識の3分割といったほうが実際に近いでしょう。
3分割を始めたのが50代後半のことでしたので、一番時間を割くのは「フルタイムの仕事」でしたね。
通勤も入れて、平日は一日10時間以上割いていました。
次は学習を含む趣味全般。
50代終わりから60代にかけて、放送大学大学院で4年間学習しました。
国際政治(修士課程)に2年間、情報学(修士課程)に2年間です。
(趣味で小説を書いていたので、ゼミ以外も含めた学習時間と執筆時間の確保が大変でした)
国際政治ゼミでは、指導教官が(テレビ番組にもよく登場される)高橋和夫教授だったので、中東と米国を中心に世界の動きを学びました。
ゼミ仲間には、現役の外務省や自衛隊の幹部がいたので、リアリティのある議論に参加できました。
この知識は、資産運用の世界で、世の中の動きを考える助けになっています。
情報学ゼミは、第一期生でした。
ゼミ仲間は、システムエンジニアや数学の専門家、大学職員、科捜研のひとなど多士済々で、
いろいろと実務的な話を聴かせてもらいました。
この知識は、当時の会社での基幹システム導入や、今のバイト先での実務的なIT活用に役立っています。
でも最も時間をかけたのはランニングでした。
月間200キロを走破することを目標に、自宅周囲をはじめ、近くの二上山から葛城山あたりを走り回っていました。
山へ走りに行くと、普通は一日仕事です。短くても半日はかかりますね。
ですから週末はほとんどランニングでした。
3つ目は家事を含む家計です。
1990年代の米国駐在の最後は単身だったので、見様見真似ながら簡単な料理をやっていました。
日本へ帰ってからも、料理をする習慣は維持しようと、週末の夕食だけは作っていました。
いまから考えると、全くの「おとうさんの料理」で、値段をかまわず材料を買って大量に作り、台所を散らかして、ごみは出しっぱなしといった感じでしたね。
妻と娘はよく耐えてくれたと思います。(笑)
62歳で一度完全に仕事を離れてからは、毎日料理をするようになりました。
妻が師匠ですね。
調味料の補填から台所の掃除、食器の片づけなど教わりました。
当時は、CFPの受験勉強や小説を書くことに飽きたら、買い物へ行って夕食の献立を考える生活でした。
料理を含む家事は、今でも上手いわけではありませんが、まあ、やらないよりは助かるといった程度にはなりました。(笑)
生活時間を3分割する意識で過ごしていると、24時間のバランスを考えるようになります。
子供のころように、一つのことに熱中して時間を忘れるような老後の生活もよいのですが、
集中してやりすぎると反動が来ます。
ランニングでも、長距離(30~40キロ)を走ると、しばらくの間は筋肉痛です。(笑)
毎日のように長距離を走っても平気な人がいますが、とても羨ましいですね。
それに、高い目標を掲げて無理して走ると、ほぼ必ず故障します。
それならば、僕は毎日少しずつでも、楽しく走り続けるほうを選びますね。
いくつかのことを、毎日少しずつ継続するのが、生活時間3分割法です。
おかげさまで、周囲は分かりませんが、新型コロナ禍のなかでも、僕はあまりストレスを溜めずに過ごせています。(笑)