年末年始は昔の仕事仲間の会合が続きますね。
会合に行くと、お互いに久しぶりに会うので、司会者が時刻を図って各人の近況報告が行われますが、僕が参加する会合のメンバーは、概ね仕事を引退する年齢なので、退職したあとの家族との関係を語る人が何人かいました。
その中で
「仕事を辞めたら、頼むから家に居てくれるな!と言われた」
という人が何人かいたので、みんな笑ってしましました。
もちろん冗談なのですが、幾分かの真理は含んでいそうでした。
「料理などの家事をやろうとしても、女房が切れるんだ。
こっちは頑張っているんだけど、俺がやっていることに我慢できないらしいんだ」
そうやって憤る人に対して
「料理などの見えている家事だけやっても、良いとこ取りに見えてだめだよ。
料理に使う調味料が切れかけたら、あらかじめ買っておくとか、洗い物をやって食器棚にしまうとかの、名もない家事までこなさないとなかなか認めてくれないよ」
そんな会話もありました。
みんなの話を聞いていて、脈絡なく思い出したのは、40年近く前にスペインに赴任して
会社の運転手だったドミンゲス氏に言われた言葉です。
当時はバブル発生前の時代で、日本の国自体の威勢がよく、僕たちのような海外駐在員は、やる気と希望と誇りに燃えて赴任していました。(何と言っても27歳でしたからね 笑)
ドミンゲス氏も日本が勢いよく成長しているのはよくわかっていました。
日本に対する畏敬の念が感じられたように記憶しています。
かれは中学卒業後に働きはじめ、苦労を重ねて、わが社の運転手になったのは60歳前くらいだったかな?
(年齢的なこともあって、運転は時折怖い時もありましたけどね 笑)
そしてとても敬虔なカソリック信者でした。
1982年当時で50歳後半ならば、1936年に始まったスペイン市民戦争の災禍も潜り抜けて生きてきたのでしょう。
文学好きな人には、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」の舞台になった戦争といえばわかりやすいかもしれません。
スペイン市民戦争は、肉親同士が敵味方に分かれて殺しあった悲惨な戦争です。
彼は僕に「若いのに、スペインまでやってくるのはすごいな」と言いました。
僕は日本の会社システムに誇りを持っていたので
「辞令一枚があれば、日本人は地球のどこでも行って働くんだ」と答えました。
ドミンゲス氏の答えは、当時の僕の意表を突くものでした、
「それでは、あなたたちは会社の奴隷ではないか!」
僕は反発して、「それではあなたはどうなんだ?」と聞くと
「私は神のしもべだ。神の教えにしか従わない」
僕は「この野郎」と思いながらも、反論する言葉がありませんでしたが、依然として日本の会社システムに疑問を持つことはなく働き続けました。
でも心のどこかにドミンゲス氏の言葉はずっと残っていましたね。
定年退職して、周囲の様子やネットなどの情報を眺めていると、
日本株式会社のルールに則って、有期(定年まで)の仕事を終えて、癒しの住処であるはずの家庭に帰ろうとしても、そこには妻がすでに自分の帝国を構築し、すべてがマイルール(夫にはそう見える)に従って運営されていて、妻のマイルールが難攻不落で侵入できない・・といった漫画のような想像をすることが時々あります。(笑)
日本株式会社のシステムは、主に男性を奴隷化するだけではなく、転勤族という縛りで、優秀な女性の労働機会を奪い、果ては子供の教育を取るか仕事を取るかと悩んだ挙句、単身赴任という非人間的な状況が妻の帝国建設を助けるという皮肉な結果を招いいているのではないかというのが、僕の偏見に満ちた見方です。
もちろん、40年前のドミンゲス氏が言った言葉の影響に大きく影響を受けています(笑)
40年間も、家庭という、もう一つの現場を離れて外で戦っていたのですから、「名もない家事」とか言われても、何のことかわからないし、どうやっていいのかもわかりませんね。
でも長年やってきた仕事でも、成果を上げるためのプロセスで、下準備や裏方となっての「名もない仕事」がとても重要であることは骨身にしみてわかっているはずです。
もしも40年間「会社の奴隷」をやってきたならば、退職してから、もう一度「家庭(妻の帝国)の奴隷」をやりたくはありません。(笑)
でも妻の帝国を乗っ取って帝王になるのは、それはそれで大変そうですから、家事の一部分で自分が裁量できることを探して居場所を確立することが現実的かなと思います。
(まあ、年も取っているし、その程度で十分です 笑)
妻も初めから「帝国」を作るつもりはなかったでしょうし、何十年も帝国を支配していれば、帝国支配(マイルール家事)にはいい加減飽き飽きしているでしょうから、ちょっとくらいは譲ってくれそうな気はします(笑)