8月9日から11日にかけて、北アルプス白馬岳に友人3人と登ってきました。
このメンバーは、昨年8月に槍ヶ岳に登ったときと同じなので気心も知れています。きっと楽しい登山旅行になる予感がしましたね。
当初の予定では、8月9日午後に白馬駅から猿倉入りして歩き出し、夕刻までに白馬槍温泉に到着して一泊する予定でした。そこから白馬槍ヶ岳、杓子岳を縦走して白馬山荘、翌日に白馬岳、小蓮華山から白馬大池経由で蓮華温泉にゆっくり浸かって帰宅するという、オジサンたちにしては意欲的な計画でした。
ちなみに、3人は東京から来るのですが、僕は奈良の自宅からでは早朝の新大阪発新幹線に間に合わないので、オジサンらしく8日の夜に新大阪駅近くのホテルに前泊しました。
ところが、出発前日になって天気予報が、「9日の午後から雷雨の可能性が高い」ということに変わり、鳩首会議の結果、稜線を歩行中の雷を回避するために、予定を変更して9日は白馬入りして宿泊し10日に猿倉から白馬大雪渓を登って白馬山荘に行くことにしました。
実は、出発前夜の8日夜にトレイルラン仲間と飲み会があって、
「明日は早いからお先に帰るよ」というと
「夜行バスですか?」
「いやいや、若い人のように夜に移動して早朝から動くのはムリ!」
「優雅ですねー」
と言われていたのですが、9日も白馬泊りの散策となると、
これは完全に「軟弱登山」ですね(笑)
9日の昼ごろに東京から来た3人と白馬駅で落ち合ってホテルへ向かいました。
急遽予約したので、避暑地向けのゆったりしたホテルになりました。
ホテルのフロントで散策場所を聞くと「八方尾根」を勧められました。
東京組の3人は大学時代からの仲良しで、一緒にスキーで白馬あたりに来ていたそうです。
「咲花ゲレンデ!」「黒菱!」などという地名に反応して、学生時代のスキーの思い出話に花を咲かせていました。
スキーリフトで上に上がって、椅子に座ってのんびりし、牛を見たりしながら、最後はオセロまでやってましたね。
「明日、白馬岳に登るとは思えんな~ 笑」
とてもリラックスした雰囲気でした。
夜はゆったりした食堂でバイキング料理を楽しみ、することが無いのでロビーでガイドさん(?)の白馬岳のスライド説明を見ていました。
スライドが終わってから、スライドを説明したガイドさんに質問しました。
「大雪渓はどんな感じですか?」
「落石が多くて危険です。死人も出ます。一軒家くらいある岩が、ガスの中から音もなく
スーッと滑り落ちてきて潰されるかもしれませんよ。行ってみたらわかりますが、人の頭位ある石は良く落ちてきます。ヘルメットは必携です」
ここでリラックスムードから一挙に緊張が走りました。
「そんなに危険ですか?ヘルメット持ってきていない。どこかで売っているかなあ?」
僕は、「そんなにしょっちゅう落石があって事故が起きているなら、白馬村役場から告知があるはずだと思うよ。登山中は周囲の状況に注意していればいいのではないかな?」と言っておきました(笑)
そのガイドさんのアドバイスでよかったのは、「朝から混むから早く出発せよ」でした。(笑)
当初の出発予定を早めて、猿倉までタクシーで行って、登山届を提出していると
受付で座っていたお爺さんが
「ここに死亡4人と書いてあるけど、これは春山も含めてだ。天候が安定した夏なら、よほど変なところへ迷い込まなければ大丈夫!」と言っているのが聞こえました。
昨夜のガイドさんは、僕たちがリラックスしすぎていて危ないと思ったのか、少し「喝」を入れてくれたのかもしれませんね(笑)
猿倉登山口を登っていくと大雪渓前に着きました。
ここでトイレや補給をして、雪渓手前で持参のアイゼンを装着します。
僕のアイゼンは新しく買ったのでピカピカです。
一人が「ピカピカやな! 俺のは錆びとるぞ」
(道具の手入れは大事ですよ)
心の声です(笑)
4人は2組に分かれて登りだしました。
大雪渓はアリの行列のように延々と人が続いていました。
距離は2キロくらいで、傾斜は急です。アイゼンがないと滑って登れません。
僕は遅い方の組で、2人で落石の音に注意しながら(笑)ゆっくりと登って行きました。
途中で白い霧(ガス)が湧きだして、周囲が見えなくなってきました。
(うわっ!ガイドの言った通りになってきたよ)
でも家一軒分の大岩や人の頭大の石も降って来ずに、無事に大雪渓を抜けました。
どうやら昨年の雪が少なくて、今夏の雪渓は少し痩せているようです。
大雪渓を抜けて50メートルほど上がると避難小屋がありました。
そこで先行組の一人が座っています。
「どうした?大丈夫か?もう一人は?」
「大丈夫や。先に行った。追いかけるから先に行ってくれ」
少しおかしいなと思いつつ、遅行組の二人は黙々と登山道を登って行きました。
登る速度が違うので、遅行組の2人も離れて行きました。
途中で綺麗なお花畑や素晴らしい景観に見とれながら、テント場のある国民宿舎のところまで登ってきたら、先行組の1人が声を掛けてきました。
「おおい、あとの二人は?」
「ひとりは避難小屋で見たきり。もう一人はゆっくり上がってくると思う」
「避難小屋で置いてきたけど、心配でな。頭痛いとか言ってたから」
「もしかして高山病なら大変だな。携帯の電波も通じないから待つしかないか」
(大雪渓の手前でFBに投稿しましたが、それ以降下山まで携帯のアンテナが立つことはありませんでした)
しばらくすると、遅行組の一人が上がってきました。
「もう一人は?」
「いや、見なかった」
携帯を取り出すと
「あっ、メールが入っている。休んでから上がってくると書いてある」
どうやら、瞬間的に繋がったようです。
「待つしかないな。ここから標高差600メートル下ってから、また上がってくる体力はないしな」
国民宿舎のテラスで登ってくる人を見ながら待ち続けていると、
「見つけた!俺が迎えに行ってくる」
先行組の一人が、走って降りていき、荷物を抱えて登ってくるのが見えました。
僕も少し降りて、冷たい湧水を渡しました。
先ほど登ってくるときに、医学部の学生たちとすれ違って、山頂ちかくでボランティア診療をしていると聞いたので、診てもらいました。
「血中酸素濃度が低下しています」
高山病ですね。
3人は4人分の荷物を持って白馬山荘まで上がって、宿泊の手続きをしている間に、
残った一人は酸素吸入器で治療をしてもらって、様子を見ることにしました。
一時間ほどして一人が迎えに降りると、元気になって登ってくるもう一人と出会いました。
酸素吸入だけで回復したようです。
「良かった!良かった!」
早速恒例の酒盛りです。(高山病の本人は医者に言われて禁酒!)
昨年の槍ヶ岳のように、素晴らしい眺望を楽しみながらビールのロング缶が並びました。
僕らの年代の男性はよく、女性が集まるとエンドレスの「井戸端会議」が始まると言いますが、これは男性も同じですね。途切れることなく山を見ながら数時間の四方山話が始まりました。これが楽しい!女性の皆さんの気持ちが少し分かった気がしました(笑)
東京組の3人は大学時代から40年以上の付き合いで、話すことも多いのでしょうけれど、僕は昨年が初対面で今年は2回目です。それでも違和感を感じさせることなく、自然に会話に入れてくれました。有難いですね。
夕食が終わって外に出ると、雲海に浮かんで、正面に剣岳、遠くに立山・穂高連峰が見えました。昨年4人で登った槍ヶ岳もその姿を見せてくれています。
朝日岳に夕日が沈んで、残照が雲海と山肌に映えて、なんとも美しい光景です。
残念ながら、半月の夜だったので満天の星とはいきませんでした。
でも翌日の山荘から見る早朝の景色も印象深いものでした。
翌朝は午前6時前に山荘を出て、白馬岳山頂を経て、小蓮華山から白馬大池までを縦走しました。
昨日、高山病だった一人は、先頭を切って元気に歩いて行きました。
軽症でよかったですね。
天気は快晴!
少し暑かったけど、眼下に見下ろす景色は最高でしたね。
途中で、前日登った大雪渓から白馬岳山頂へ行くルートが見えたので、思わず写真を撮りました。
景観を楽しみながら3時間くらい歩いて、白馬大池に着きました。
色とりどりのテントが、花が咲いたように池の近くにたてられていて綺麗でした。
大池から2時間で蓮華温泉です。
これがなかなかの歩きにくい道で、遅行組の2人は難渋しながら進みました。
途中で1人が「膝が痛い」と言って、スピードが落ちてきました。
でもどうしようもないので、痛みをだましだまし午前11時ごろに蓮華温泉に到着しました。
山荘から休憩をいれて5時間強かな?
暑かったので、思ったより水分を消費しました。
蓮華温泉は内風呂といくつかの野天風呂があります。
野天風呂に入って、次に行くと汗だくになって、また風呂に入るという感じでしたが、
午後になって霧が出てきて、風が吹くと気持ちよくていつまでも入っていたくなる気分です。
ゆったりと、かつ、まったりとした時間が流れて行きました。
午後3時45分の糸魚川行きのバスに乗って、一時間少し行くと漸く携帯のアンテナが立つようになりました。
自宅にlineで連絡すると、連絡が無いので心配してくれていたようでした。
都会で普通に暮らしていると、携帯が通じないというのはないですからね。
糸魚川の駅について、東京方面と大阪方面に分かれて北陸新幹線に乗り込みました。
旅は自宅に着くまで続くと言いますが、ほんとにその通りで、自宅に辿り着いたのは
午後11時頃でしたね。
長い長い登山旅行が無事に終了した瞬間でした(笑)