• 定年男子のランとマネー

4月26日、大阪本町のディープな場所にある会議室で開かれた、大江英樹さんの「コラムを執筆するために」セミナーに参加しました。参加者は10名程度でしたが、コラム執筆の極意が大江さんから伝授されました。

セミナーのレジュメの最後に、「コラムの添削」の特典がついていたので、帰宅してから、コラム執筆講座の内容をコラムにして(笑)大江さんに送りました。

お忙しいにもかかわらず、大江さんから、僕の文章を添削して返信がありましたので、下記に添付してご紹介します。(表題以外の太字部分が大江さんの添削です)

お金をとれるコラムの文章とは?

モノ書きとして、プロフェッショナルとアマチュアの最大の違いは、お金を払ってくれるお客さんを持っているかどうかです。

ではお客さんはどんな文章にお金を払ってくれるのか?

結論から言えば自分が書いてほしい文章にお金を払うです。

筆者は、これまで小説とブログと論文を書いてきました。

コラムは書いたことはありませんが、コラムの文章とは、いったいどういったものなのか、小説や論文と比べて、文章の違いについて私なりに考察してみます。それらの違いの内で最も大きなものは「構成」だと思います。

経済コラムニストの大江英樹さんによれば、コラムの文章は「結論」「理由」「反証」「補強」で構成されているそうです。

これに対して、ブログは「序」「破」「急」からなります。

岩波書店の国語辞典によれば、「序破急」とは「舞楽・能楽の構成様式。全曲を序・破・急の三部分にわける。転じて、曲や舞の進行の速さの変化」とあります。

文章を書く場合に置き換えて考えてみると、文章の初めに、まず読者を惹きつけて(序)、急にリズムを変えて(破)、最後に満足させる(急)という構成です。

一方、小説で大事なのは、「起承転結」です。この言葉はおなじみですが、実際に書いていると、短編と長編では全く異なります。

短編はブログに似ていて、どんなアイデアで読者を惹きつけるかが最大のポイントです。これに対して、長編は「うそ」の話を、リアリティを感じさせながら、読者を飽きさせないで長く引っ張れるかが重要なのです。

さらに、一般の人にはあまり目に触れる機会は少ないでしょうが、論文というのも独特の構成を持っています論文の構成について、筆者が修士論文を書いた時に指導教官から教えられたことは「起」「承」「結」でした。つまり論文には小説のような「話を変える」意外性は不要で、独自性をもとにした論理展開が強く求められるということなのです。

結論として私が考察するに、コラムはブログを長くして、論文の要素を加えたものと言えそうです。

ここまでは、コラム・ブログ・小説・論文の枠組みというか、ルールですが、大切なことは形式論ではありません。「お金をとれる文章」を書くのに最も大切なのは、なんといっても「何について書くか?」です。

筆者のように趣味で書いている者にも、文章を読んでくれる人がいます。小説を出版した時は、購入いただいたこともあるので、多少はお金を出していただけるようです。

しかし、それは主に友人知人だからであって、不特定多数となると話は別です。

お金を得るためには、「多くの人が読みたいと思うようなテーマ」を書くことが必要です。そのためには、世の中で興味を持たれている事柄の中で、自分の専門性と重複するテーマを選んで書けばいいと思います。実際に良く読まれている人気のコラムを書いている人の例を挙げてみましょう。

例えば、社会派ブロガーの「ちきりん」さんは、統計などの数字を自分なりに分析して、独自の視点から思いがけない推論を導き出しています。根拠が明白なので、非常に説得力がありますし、テーマの選定が社会的に興味を持たれていることが多いので、広く支持されているのです。

評論家の山崎元さんのコラムは、基本的で当たり前のことを述べていますが、世の中のタブー(少なくとも忖度の対象になりそうなこと)に踏み込んで、明快に斬っていく爽快感が支持されています。

最後に再び大江さんの話に戻ると、文章が上手くなる秘訣は「書き続けること」だそうです。現代は、だれでもSNSを使って世の中に発信できる時代です。ブログを毎日書いて、発信を継続すると、もしかしたら世の中のニーズに合致して、「お金を払ってでも読みたい」という人が現れるかもしれませんね。


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