大江英樹さんの「老後不安がなくなる定年男子の流儀」を読了しました。
この本では大江さんは起業前後の思いや準備を中心に、テクニック的なことも含めて楽屋裏を開陳されています。
僕が今本を読んで感じたのは、全編に流れる楽観論です。
このように書くと能天気な内容かなと誤解されるかもしれませんが、大江さんの楽観論は自分を信じ、他人を信じ、社会を信じていることから来ているのではないかと思います。
僕がこのように感じる背景には、大江さんの在籍した野村證券との多少の係わりが影響しているかもしれません。
僕は1954年生まれで大江さんの2歳くらい年下です。
就活のときは第二次オイルショックの直後で、金融機関や商社は軒並み採用を絞り込みました。僕の大学のクラスでも、就活を頑張ったけれど全滅で、幸い教師の免状を持っていたので学校の先生になった人が何人かいました。
女子の就職はもっと大変で、クラスでトップの成績の人が就職で苦労していました。
そのころの証券会社はノルマが厳しくて、野村證券は「ノルマ証券」と呼ばれていて、僕の友達にも厳しいからと敬遠する人が何人もいました。
その「ノルマ証券」に僕の2人の友達が入社しました。
A君はのちに為替のディーリング課長に出世しました。バブル期に会った時には、収益目標達成のために喘いでいて
「俺のことを分かっていない!」と会社や上司や家庭の不満ばかり言っていましたね。会うたびに「辞めてやるんや!」というサラリーマンの決まり言葉を吐いていました。
B君は海外勤務でした。海外拠点の立ち上げ業務などに従事して活躍していましたが、仕事は厳しかったようです。彼は野村證券が大変な時に退職しました。このときは多くの人が野村證券を離れたようです。B君は退職したあとに先輩や取引先の伝手で転職を重ねましたが、60歳を前にして無職になりました。
野村證券とは仕事でも少し係わりがありました。債券関係の会議に行くと、野村證券と日本興業銀行が仕切っていました。野村證券の内部のことは分かりませんが。大江さんが38年もの間、証券業界の中でもとりわけ厳しい野村證券で生き抜いてこられて、なおかつ楽観的であるのは素晴らしいことだと思います。
もう一つ、大江さんが楽観的なのは、本でも書いておられますが、退職後のキャッシュフローを計算して、いざとなったら年金生活者になればよいと考えたからでしょう。
6月1日付の日経新聞(電子版)を読むと、大江さんのコラムが掲載されています。
このコラムで大江さんは、FPの老後相談で企業年金をカウントしていない人が多いことを指摘されています。確かに僕も自分の退職金や企業年金の内容を知ったのは退職直前でした。そのころは十分な知識もなくて、説明を受けても実感がわかなかった記憶があります。
でも今は60歳からもらえる企業年金が人生設計の上で大きな助けになっています。改めて長年勤めた会社への感謝の気持ちが湧いてきます。
大江さんは仕事柄もあって、在職時から公的年金や企業年金および個人向け確定拠出年金に詳しかったので、退職後のキャッシュフローの想定が容易だったのでしょう。
収入が分かれば、あとはそれを下回る支出で生活が成り立つかが問題です。
大江さんは退職前の二年間、家計簿をつけて支出の感覚をチェックされます。
「入る」が分かり「出る」をしれば「百戦危うからず」ということで、大江さんは安心してチャレンジに打って出られます。60歳を超えてのチャレンジは、心の余裕がなければうまくいきません。
定年後の経済状態は人それぞれです。
誰もが大江さんのようになれるわけではありません。
でもほとんどの人が大江さんのようになりたいと思うでしょう。
大江さんは自らロールモデルになり、自分の内側を明かすことで、定年後に迷いがあるサラリーマンを支援しようとされているのだと思います。