• 定年男子のランとマネー

3月26日、仕事が非番の日に、妻が予てから訪れたいと言っていた姫路城に、石垣の刻印を探しがてら行ってみることにしました。

妻は、刻印を調べるために購入した書籍をはじめ、図書館で借りた書籍から、姫路城の

石垣の刻印を予習していましたね 笑

国宝であり世界遺産である姫路城は、JR姫路駅を降り立つと、真っ直ぐ伸びた大通りの

先に、道をふさぐようにそびえています。

その優美な姿から「白鷺城」とも呼ばれる姫路城には、平日で桜開花前というのに、たくさんの観光客が訪れていました。

到着時間は午前11時前。

姫路駅から路線バスに乗って2つ目の停留所が、大手門前です。

正門を入るところで、早速に妻が「斧型」の刻印を見つけました。

予習の成果ですね 笑

門を抜けると、お城の前にだだっ広い広場が。

周囲が桜並木なので、あと10日もすればきれいでしょうねー

我々は、広場を突っ切って、一路石垣へ。

この石垣では刻印は見つけられなかったのですが、代わりに長く横たわる「西大柱」が

置いてありました。

説明を読むと、姫路城の築城以来、西大柱と東大柱の2本の大木が、6層の天守閣を350年間支えてきたそうです。

さすがに虫食いなので腐食が進み、現在は後進に道を譲ったようですが、巨木の力は

素晴らしいですね。

お城前のチケット売り場で入場券を買って、まず天守閣に向かいました。

急こう配の坂を上りながら、二人で刻印探しです 笑

刻印付の石は日本各地のお城にあるみたいで、数年前に皇居(江戸城)を見学したときも、

ガイドさんが案内してくれました。

江戸城や大阪城、姫路城のほかにも、名古屋城などにも使われているようです。

大阪城には、刻印を説明するボランティアガイドさんまでいるそうです。

そのうちに、旅行社がツアーを企画するかも 笑

天守閣に登ると、各階に「西大柱」「東大柱」の表記があり、まさにこの2本の柱が、

姫路城の大黒柱だったことが分かります。

天守のなかは想像したよりも広くて、登る階段と下る階段が別々に設置できるほどでした。

でも、さすがに上層部に上るほど狭くなって、4層目から上では、係の人が混雑と事故を

避けるために、入場者を制限していましたね。

天守からは、眼下に広がる城下の様子や、立派な鯱を見ることができました。

最上階には、社殿が設置してあって、お賽銭を入れて拝んでいる人もいました。

天守閣を出て、西の丸に向かう途中にも、いくつか刻印を見つけました。

平成の大修理の時に、建設会社が残したらしい刻印も見つけました。

350年くらい経ったら、我々のような人が、700年前の刻印と同じように見るのでしょうかね 笑

西の丸では、化粧櫓に入り、長さ240メートルの長い廊下を歩きました。

姫路城は、徳川家康の孫である千姫が、豊臣秀頼と死別したあとに、本多忠刻の妻となり

暮らした場所です。

秀頼との間には子供がなかった千姫ですが、忠刻との間には一男一女を授かったので、

恐らく千姫の生涯では、最も幸福な時期と思われると説明には書いてありました。

西の丸庭園には、立派な桜の木が何本も植えられていて、少しだけ花をつけていました。

満開になれば、お城をバックにして、さぞ美しいだろうなと思いましたが、その時期は

すごい人出が押し寄せてきて、桜見物どころではなさそうな気もします。苦笑

姫路城を出たら、午後1時過ぎ。

姫路城が思ったよりも広かったことと、刻印探しで時間を取ったので、空腹のまま

城前の食堂に入りました。

私はかつ丼、妻はカレーライス。

晴天かつ気温25度だったので、二人で冷えたビール中瓶を1本。

美味かった!

食事を終えて、お城の隣の「好古園」を散策しました。

少量とはいえ、お昼にビールを飲んだので、睡魔と戦いながらの散策 笑

どうせ小さな庭だろうと、甘く見て中に入ったら、たくさんの庭園が連なる立派な庭が

続いていました。

遊歩道は整備されていて、木々もきれいに剪定されていました。

このような立派な庭を、時間があれば散策できたとは、姫路のお殿様は贅沢ですね。

お城の石垣と美しい庭園を堪能して、二人とも満足して家路につきました。

自宅までは、JR新快速で1時間超です。

席について、目をつぶると、すぐに睡魔に襲われ、気が付いたら尼崎駅あたりでした。

帰りに買い物をして、さっとお風呂に入り、ベランダで冷えた白ワインを飲みながら

姫路城と刻印のことを話して、休日の一日は終わりました。

次はどこのお城でしょうか?笑


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