皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨年末に日光温泉旅から帰宅して、翌日から2日間は妻が寝込み、30日から3日間は
私が寝込んでしまい、2人が何とか元気になったのが1月2日でした。
それでも1月1日は、ふらつきながら近所の神社に初詣に行き、
2日は父母の霊が眠る、大阪市内の四天王寺にお参りして、久しぶりにラーメン餃子を食べて帰りました。笑
3日間ほどベッドで、動くこともできずに眠りながら、定年してからのことをいろいろ思い出したので、順不同で書いてみます。
私が定年退職後に、起業のマネごとをして独立してやっていくのに、背中を押してくれたのは大江英樹さんです。
大江さんとの出会いは偶然でしたが、定年後は勝手に大江さんをメンターにして、
10年間を過ごしてきました。
その大江さんは、1年前の1月1日に帰らぬ人になりましたが、
私は、2024年も大江さんの流儀に習って、やりたいことを次々にやってきました。
年末に、少人数で、ささやかに「大江さんを偲ぶ会」もやりました。
その時に思ったことは、大江さんが残してくれた、人と人を結ぶ絆の大切さと有難さ
でした。
しかし、大江さんが亡くなったちょうど1年後に、偶然ながら、私も寝込んで、ベッドで身動きできない状態で、年末年始に大江さんのことを思い出すことになったのです。
そして、すごく久しぶりに寝込んでみると、「知らぬ間に疲れが溜まっていたのかな?」と思うようになりました。
よく寝て、よく食べて、よく運動して、を心がけていましたが、そういう風にきちんとやろうとすること自体が、もしかしたらストレスになっていたかもです。
人間は機械ではありません、しかも年とともに心身ともに衰えることが自然です。
そこで、自然の摂理に会わない努力を続けると、無理が出て、歪みが生じるのでしょう。
やはり、人生の下り坂には、下り坂にふさわしい活動量があると思います。
したがって、2025年は、やりたいことは集中して行い、余った時間は、できるだけ
新しい地元である大阪を知り、大阪との接点を増やす時間に充てたいと思います。
「悩んだら、変化を選ぼう!」は、大江さんが机の前に貼っていた言葉だそうです。
私は昨年、大阪への転居という変化を選んだわけですから、今年は大阪を探検して
楽しみたいと思います。
このブログは、この記事で750本目になります。
2017年2月から書き始めていますので、約8年間書いています。
自分へのノルマとして、月間5本の記事を書くことを課しています。
2024年は66本の記事を書きました。
1記事を約2000字とすると、66本で約13200字、長編小説を1冊書くくらいです。
定年後に2冊小説を書いて出版しましたが、才能がなく、それ以降は書いていません。
代わりに、身近に起こったことを題材に、年間に小説1冊分くらいを書こうと決めて
このブログを始めました。
ブログのテーマの基準は、自分の周囲に起こったこと、自分で考えたことです。
これを、読む人に分かりやすく、感謝の気持ちとともに、できるだけ不快な表現を避けて
書いています。
ブログを書く目的は、1か月に5回くらいは、自分で何か行動を起こし、それを
正確にわかりやすく伝える努力をすることで、自分の思考と文章を磨くことです。
簡単に言えば、生活に緊張を持つことで、老化の防止に努めるということですね。
時々、このブログにラン友さんやFP友達が登場しますが、私と何か一緒に行動してくれたことへのお礼の気持ちと、ブログの形で文字や写真が残ることが何かの記念になって記憶の片隅に残ってもらえれば思って書いています。
(ご迷惑な方は、そのように言ってくださいませ)
できれば、あと5年、累計で1000本くらいの記事を書き続けられればと思います。
1月2日に、ふらつきながら四天王寺にお参りに行ってきました。
この辺りは、父母が新婚から約50年間住んだところで、我々兄弟は、四天王寺の
境内と墓地を突っ切って幼稚園に通っていました。笑
昨年、転居に伴う墓じまいを行うのに、家族の思い出深い四天王寺に、父母の永代供養を依頼することを兄弟に諮ったところ、快く賛成してくれました。
今年から、初詣は四天王寺に父母のお参りに行こうと決めていたのに、不覚にも
寝込んでしまって、ふらつきながら供養塔の前で手を合わせることになりました 苦笑
これからも、折あるごとに四天王寺を訪れて、在りし日の父母を偲びたいと思って
います。
取り留めない話になりましたが、2025年は、特に目標を定めずに、出会うことに自然体で対応していきたいと思っています。
そして、できるだけ自然に触れる生活にしたいので、一緒に山遊びにお付き合い頂ける方は
(かなりポンコツ気味ですが)ひきつづき宜しくお願いいたします。