• 定年男子のランとマネー

最近、人出不足つまり人口減少に伴うニュースや現象をよく見かけます。

人出不足による倒産。

人出不足による建築の遅れやバスの減便。

過去に作られてきた社会の仕組みや枠組みが、人口が減ることで支えられなくなってきています。

人口が少なくなって、枠組みがそのままならば、社会を維持する費用である、税金や

社会保険料の一人当たりの負担額が増えます。

国民民主党は、先の選挙の公約で「手取りを増やす」ことを挙げて、有権者の支持を得ました。

早速「年収の壁103万円」を引き上げる交渉を自民党と始めたようです。

新聞によれば、自民党税調も、103万円からの引き上げに前向きなようですが、それなら

もっと以前からやっておけば、あんなに選挙で負けなかったのにとも思いますね 苦笑

しかし、年収の壁を103万円から引き上げると、政府は大きな減収になるようです。

支出が変わらなければ、不足分の穴埋めをどうするのでしょうね。

国債の発行でしょうか?

税金や社会保険料の一部だけを変化させても、社会全体の枠組みが変わらなければ、どこかで

きっと歪みがでます。

「モグラ叩き」のように、歪みを個別に叩いていると、いつかは全体のバランスが崩れて

しまいますね。

<コンパクトシティ>

人口減少の世の中で、社会全体のバランスを取ろうと思えば、社会全体の枠組みを小さくして「縮小均衡」に持っていくことが考えられます。

私が以前住んでいた地区は、数十年前に開発されたベッドタウンと、千年以上前から続く

集落で構成されていましたが、住居や商業地が集積する地域と、住居や店舗が広く点在する地域に、

上下水道をはじめとする公共サービスを平等に提供することは、年々難しくなっていくようでした。

一例をもってすべてを語るのは乱暴ですが、万民に平等に公共サービスを提供していると、

近い将来に公共サービスの維持が難しくなり、地方公共団体の財政が破綻するか、人手不足でサービス提供不可能になるのではないかと思いますね。

確かに、日本国民には生活権や居住権があるので、集積した地域に住みたくない人や、事情があって

住めない人は、数多くいると思います。

しかし、行政に財源的にも、人員的にも、まったく余裕がなくなり、一定以外の場所に公共サービスを提供できなくなった場合には、「背に腹は代えられない」と、公共サービスが実質的に打ち切られてしまう可能性もあります。

そうなると、極端な言い方をすれば、行政から見捨てられた場所が、国内にたくさんできることになるので、そうなる前に、将来の社会の枠組みや大きさについての議論を、国民の前でやっていただき、国民が選挙で判断できるようにして欲しいものです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA