7月は3回にわたって、大学のシニアコースで授業を行っています。
現在のところ、2回が終わって、24日に最終授業の予定です。
大学での授業は、定年後の夢の一つで、機会があれば、是非やってみたかったことです。
授業の共通テーマは、国際政治シリーズ米国編です。
その中で、私が選んだテーマが、「米国の政党」「米国の分断」そして次回の「米中対立」
先日、今回の派遣元のABICの懇親会があり、出席者から「そんな難しいテーマを選んで
後悔はありませんか?」と笑いながら聞かれました。
先方のご期待通りに、「はい、後悔しています」と答えて笑いを取りましたが、
これらのテーマは、私が本当に知りたかったことなので、今のところ選んでよかったと
思っています。
(授業を聞いている生徒さんたちが、どのように感じているかは分かりませんが)
米国に駐在しているときに、職場では政治や宗教の話は、就業規則でご法度にしていたので、
米国人が政治につき、どのように考え、行動しているかを知る機会は、ほとんどありませんでした。
「リパブリカン」「デモクラット」という言葉はよく聞きましたが、支持者は熱烈でも
各政党の党員数はどれくらいかな?
でも議員以外に党員らしい人の活動は、あまり見ないな、などと考えていました。
今回の授業のために、いろいろ調べ、勉強して、ようやく米国の政党が、日本を含む
各国の政党と、大きく異なる組織であることが分かりました。
共和党と民主党の主張(イデオロギー)の相違点と、なぜこれほど違うかの、歴史的背景を
学習すると、なぜ米国が「決められない政治」状態になっていることがよく分かります。
第二回目の授業は、「米国の分断」でした。
分断といっても、たくさんの側面があるので、前回の政党の対立に続き、人種差別、
選挙制度、貧富の格差について、お話しました。
人種差別は、イコール黒人差別として話しました。
先ほど書いた懇親会で、理事長の隣に座った、女性の弁護士さんから、「なぜ米国の黒人
差別は、無くならないのか?」という質問を頂いたので、そのことも交えて授業しました。
黒人差別の根源は、米国の植民地時代から存在した奴隷制度にあると考えます。
そして奴隷制度は、米国の南北問題、つまり共和党の北部と、民主党の南部の争いにも
深く関係しています。
私は、南部の本拠である、アトランタに駐在していたので、近郊のストーンマウンテンに
刻まれているリー将軍の像などをよく見ていました。
まあいえば、知らないうちに南部贔屓なっていたのですね。笑
マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」は映画で見ただけですが、北部に対する
南部の敗戦と、その後の口惜しさ、当時の憎しみは、なんとなく感じることができました。
南部の気持ちが、なんとなくでもわかるからと言って、決して奴隷制に賛成することはないのですが、南部の経済や生活が、深く奴隷制に依存していたことは、理解できました。
しかし、その奴隷制が起源になって、現在でも続く黒人差別につながっているのは、
南部贔屓としては、とても悲しいことです。
そんなことを思いながら、黒人差別について、生徒さん(といっても、私と同年代か年長)
に話しかけました。
貧富の差については、これはハッキリ言って、共和党の政策が格差を助長しています。
イデオロギーの背景などは分かりますが、こんな社会不安を招くような政策を推進して
本当に大丈夫なのかな?と思いますね。
今回の授業のテーマは「米国」なのですが、対立の相手国「中国」についても勉強しました。
もともと、中国の歴史には興味があって、大学院でも中国史や、中国語の授業を受けていました。
毛沢東はせっかく中華人民共和国を建国したのに、文化大革命や大躍進で無茶苦茶にして、そのあと、ようやく鄧小平が経済を立て直しました。
現在の指導者である習近平は、どうやら毛沢東の考えに共鳴し、毛沢東を超える成果を
挙げようとしているように思えます。
彼は中国をどうするのか?という疑問は、ずっと持っていたので、今回の機会を利用して、資料を読み込み、情報を集め、考えをまとめることができました。
生徒さんたちの反応は分かりませんが、自分の考えを、根拠を示しつつ発表するのは
大学院で修士論文を書いて、ゼミで発表していた時以来ですので、久しぶりに当時のことを
思い出しました。
「他人に教えると、自分は何が分かっていないかが、よく分かる」と言いますが、
全くその通りで、漠然と疑問に思っていたことを、いざ言葉にして論理的に説明する
となると、相当に話す内容を理解しておかないと話せません。
今回の授業の準備には、半年以上の時間をかけて、説明資料も各授業で40枚以上作成しました。
資料が多ければよいというものではありませんが、資料にしなくて削った部分が、
テーマへの理解の深みにつながる感じですね。
このような機会を与えてくれた方々と、我慢して私のつたない授業を受けてくれている
生徒さんたちに、大いに感謝の言葉を捧げたいです。