1956年2月25日、ニキータ・フルシチョフは、秘密会においてヨシフ・スターリンの
批判報告を行った。
「20世紀のスピーチ集」では、英文でこの報告の一部を掲載しているが、まあ、なんともはや、徹底的に攻撃し、断罪している。
スターリンは、1953年に死去していたので、これは死者に対する批判である。
「死者に口無し」なので、何を言っても反論される恐れはない。
逆に言えば、スターリンが死ぬまで、彼の暴政を止めることができなかった
ということになる。
当時のソビエト連邦と、現在のロシア共和国は、主に同じ民族で成り立っているが、
同じように独裁者を生んでいるのは、何故だろうか?
当時のソビエト連邦と同じ共産主義国家では、中華人民共和国が毛沢東の個人崇拝を行い、
文化大革命以後の大混乱を招いたこともある。
中国は、このことの反省から、個人の崇拝を禁止してきたはずだが、外部から見ると
徐々に一人の個人に権力が集中する体制に変化してきているように思える。
そんなことを考えながら、書棚から司馬遼太郎対談集「日本人を考える」(文春文庫)を
引つ張り出して読んでみた。
この文庫本は1978年の発行で、対談の内容は1970年前後の対談が多い。
この中で、スターリンや毛沢東などの独裁者と少し関係があると思うのが、
司馬さんと犬養道子さんの対談である。
犬養さんは、5.15事件で、海軍将校に射殺された犬養毅(木堂)総理大臣の孫に
当たる。
犬養さんが小学生の時に、祖父の犬養総理大臣が射殺されたのだが、犬養さんはこのことに
ついて、対談でこのように語っている。
「あのころは国家というものが絶対だったでしょう。(中略)ファシズムが出てきて祖父の暗殺となったわけですが、ちょうどそのころ普通の殺人事件があって、その犯人はたぶん死刑になったと覚えています。それなのに組織的に祖父を殺した方は死刑どころではなかったんです。(中略)
総理大臣といえば相当に権力を持っているはずなのに、そんなものは死に対して何の力も
持ちえない。国家にも人間にも限界があると思うようになったんです」
ちなみに、このくだりは、司馬さんが、日本は相対的思考法の国なのに、何故犬養さんは
一神教であるキリスト教徒になったのかと聞いたので、犬養さんが、自分がクリスチャンになった背景を話しているところである。
司馬さんと犬養さんは、このあたりの話から、例え総理大臣でも絶対ではない、日本人は
なんでも相対的に物事を考えるという展開をしている。
相対的な関係は、政治に限ったことではなくて、例えば朝日新聞と毎日新聞、東大と京大、
早稲田と慶応、さらに平安時代まで遡って、最澄と空海の例まで出している。(笑)
日本でも、犬養総理から幾星霜を経て、阿部元総理大臣が銃撃で殺されている。
在任中は「阿部一強」と言われたほどの権力を握り、退陣しても実質的な院政を敷こうと
したが、司馬流に言えば、絶対権力者になろうとしたときに、幕末の井伊直弼のように
殺されてしまった。
ロシアと中国と日本を比べてみて、どの国が良いとか、優れているとかは、言えないだろう。
それぞれの国が、どうやって生き抜いていくかを決めて、国家を運営していくしかない。
そういう意味では、現在の岸田総理大臣の下で、あやふやなままに、右へ行ったり、
左へ行ったりしているのが、歴史的に見て、案外、正常な日本の姿なのかもしれない。