8月9日、FIWA(みんなのお金のアドバイザー協会)のクラブハウスを聴いていると、
ゲストスピーカーの小屋さんが、「上手なお金の使い方」をホストの岡本和久さんに
聞いていました。
小屋さんのお客様の中で、ある程度の年齢まで質素に暮らしてきて、老後の資金収支を計算して、
十分である、または余るという方が増えてきているそうです。
それならば、余ったお金を使えばよいのですが、それまでの質素な生活の習慣で
節約が身についているので、自分のための上手な使い方がわからないらしいのです。
自分のために使わないならば、他人のために使えばよいと、小屋さんがお客様に
アドバイスしても、誰のためにお金を使えばよいかがイメージできない
という答えが返ってきます。
岡本さんは、小屋さんの話を聞いて、
「他者のためにお金を使うという習慣が身についていないのでしょうね。そういう習慣は、
小さいころから、身につけるべきですね」と言っておられました。
日本という国のイメージは、昔は「ムラ社会」で、家族や親戚がいろいろなことで、
寄り合い、助け合って生きていました。
多少、煩わしいこともありましたが、(世話焼きおばさんが、見合いの話を持ってくるとか 笑)
人口の大都市集中と、核家族化によって、ごく身近な人以外は、概ね無関心になる傾向が
強くなりましたね。
しかし、上手なお金の使い方は、お金持ちであっても、そうでなかったとしても、とても大切なことです。
岡本さんは、お金を他者のために使うだけが、思いやりの現し方ではなくて、たとえば
後から来る人のために、開いたドアを手で持って、開けたまま待ってあげることも思いやりで、
そのことで「ありがとう」と言われると嬉しくなるとも言っていました。
私も同感ですね。
利他というのは、なにもお金をあげることに限った話ではなくて、自分の持っているもの、
たとえば長年かけて学習した知識、積み上げた経験、そしてその結果として蓄積したお金の一部を、
後から来る人のために分けてあげるということではないかと思います。
若い人には、自分の知識や経験を伝えることで、若い人が行く道に迷うことや、
無駄な失敗することを防ぐ手助けをする。
自分より高齢者には、電車で席を譲る、荷物を持ってあげるなど、体力的なことで
お手伝いをする。
ただ、個別の人にお金を渡すのは、子供の教育・結婚や親の老後のために使う以外は、
むしろ感情が絡んで難しいので、いっそのこと、どこかの団体に寄付するほうが
良いのではないかと思います。
例えば、お金という川の流れがあって、人はそれぞれビーバーのように、
苦労して自分に合ったダムを造ります。
大きなダムを造って、お金の流れを堰き止めても、気を使い、お金を使って、
ダムを維持するのも大変なので、余計なお金は川に流したほうが、気持ちは楽でしょうね。
しかし、死ぬまでにどれくらいのお金が必要かはわからないので、どうしても大きめのダムを造ろうとし、冒頭のお話のように、何人かは実際に造ってしまいます。
お金のアドバイザーである私の考えは、生涯の資金計画を立てて
資金の目途が立ったならば、自分の計算額よりも、少し余分にとって置いて、
さらにお金が残ったならば、自分の気持ちが清々しくなるところへ、渡してしまうことが良いのではないかと思います。
実際には、なかなか難しそうですが、老年期の課題として、考えてみてもよいのではないでしょうか。