父親が亡くなってから10年、母親が亡くなってから6年になります。
仏間には、仏壇と二人の遺影が掛けてあるのですが、お供え物の上げ下げや、
何かの拍子に遺影をみると、まるで同居しているように感じることがあります。
自分が高齢化してくると、やっていることや考え方が父親に似てくる、
あの時の父親はこう考えていたのか・・などが分かるようになります。
そんなときに、心の中で両親と対話します。
両親はすでに現実世界には存在しないので、私の頭の中の仮想の世界、つまりメタバースにいます。
既に死んでしまった両親を、同居しているように身近に感じる感覚と、
例えば、ネット上のゲームの中で、自分を仮託した主人公が、強敵をどんどん倒して
強くなっていく感覚は、同じタイプのものなのでしょうか?
これは脳科学者に聞いてみなければなりませんが、もしも人生が記憶の集積ならば、
現実に起こったことと、仮想の世界で起こったことを、人間の脳は
どの程度、区別できるのでしょう?
コロナ禍で、海外旅行に行けない潜在顧客に対して、旅行会社がVR海外旅行という
商品を販売しているようです。
顧客はVR用ゴーグルを装着して、メタバースの中に入り、あたかも海外へ行ったような体験が
できるそうです。
もしも、人間の脳が、このような仮想体験で満足感を得られるならば、
人為的な仮想空間(=メタバース)での体験をすることで、脳を騙して、
これを実体験と感じさせることもできますね。
仮想空間の代表であるゲームについては、過去から現在までで、
下記のように変遷しています。
・お金を払って、ゲームを楽しむ段階⇒Pay to Play(ゲーセンで遊ぶ)
・無料でゲームを楽しむ段階⇒Free to Play(スマホゲームで遊ぶ)
・他人のゲームを見て楽しむ段階⇒Play to Watch(e-スポーツなど)
・ゲームで稼ぐ段階⇒Play to Earn(ゲームの中のアイテムが資産価値を持つ=NFT)
NFTが現れる前までは、ゲームの中のお金は、ゲームの中だけでしか使えませんでした。
しかし、メタバースの中のゲームの世界で、デジタルながら資産価値を持つNFTが
使われるようになってから、様子が変わってきました。
NFTとはNon Fungible Tokenの略称で、非代替性トークンと訳されます。
これを、極めて簡単に言うと、デジタル上のハンコのようなもの、つまり、デジタル上での
所有権を証明するものになります。
たとえば、現実世界での自分の土地、自分の車などと同じく、メタバース内で
NFT化した土地や自動車の所有権を主張できるのです。
そして、これらを売り買いすることで、経済活動が生まれます。
ただし、少なくとも日本の民法では、所有権は有体物にしか認められていないので、
現状では、デジタル財産権は存在しません。
ただし、海外の所有権の概念は、どうやら日本とは異なることもあるようです。
このように仮想空間と現実空間の融合には、法律を含めて沢山のハードルがあるのですが、
たとえば、両空間の融合が本格的に進めば、仮想空間で働いて貯めたお金を、取引所を通して換金し、現実空間で使うことも可能になります。
そうなると、例えば仮想空間では高給取りの会社役員でお金持ちなのですが、
現実世界では、ゲームばかりしていて、まったく「働かない人」で
社会保障も十分に受けられない、という人生もあり得ますね。
ある意味、一度の人生を二通りに生きるというわけです。
つまり、現実世界ではイマイチだが、仮想世界では十分成功しているとも言えます。
生きていくうえで、二つの人生が送れるという選択肢が現れたとき、私たちはどのように
老後の資産形成や、ライフプランを考えればよいのでしょう?
メタバースとNFTが、今後どのように発展していくのか、または萎んでしまうのかは
現時点では、よくわかりません。
でも、このWEB3.0の世界は、新しくて、かつ大きな可能性を秘めていますので、これからもよく見ていこうと思っているところです。