公的年金については、「繰り上げ、繰り下げは損か得か?」などの記事を週刊誌の広告で
よく見かけますね。
記事をナナメ読みすると、初めから終わりまで「損か得か?」しか書いていないので
記事だけ読んでいると公的年金は貯蓄だと勘違いしてしまいます。
毎月の給与明細を見ても、健康保険料と並んで年金保険料を支払っていることが記載されているので、公的年金は自分が毎月積み立てているものと思っても不思議はありません。
でもそれは間違いです。
<人はいつまで生きるかわからない>
年金が積立ではなく保険である理由は、人間の寿命が人によってどれくらいかが分からないからです。
生命保険と同じように、決まった年数の間、毎月保険料を支払うのですが、違いは生命保険が本人の死後に遺族が全額を一括で受け取るのに対して、年金は本人が生きている間に
毎月一定額を受け取ることです。この受取は死ぬまで続きます。
もしも年金が貯蓄とすると、自分が積み立てた金額だけが支給されることになります。
年金支払いの原資の金額がその人ごとに決まってしまうわけです。
そうなると毎月の受給額が一定とすれば、人によって死ぬ前に原資が無くなることがあり得ます。
例えば90歳になって年金が突然停止したら、よほどのお金持ち以外は困るでしょう。
そうなると、かつて年金制度が整備されていなかった時代のように、年金受給が停止した
90歳の親を子供たちが扶養することになりますが、現代では子供の数が少なくなっているのでこれは非現実的です。
年金は予想外に長生きした時に、みんなの保険料で助け合う保険なのです。
<積立方式と賦課方式>
年金を現在の賦課方式から積立方式に変更せよという人達がいます。
少子高齢化が進むと、将来の年金金額が減るからだそうです。
現在の賦課方式を積立方式に変更することは、年金を貯蓄扱いにすることと同じです。
自分の積み立てたお金を老後に自分で受け取るのは、一見わかりやすくて合理的です。
しかし根本的な疑問があります。
ご自身の老後生活を想像してみてください。
仕事を辞めて収入が年金だけになったときに、あなたが必要とするものはお金ですか?
「当たり前じゃないか!!」
と思うでしょうけれど、実は違うのです。
年金生活で必要なものは、お金ではなくて自分の生活に必要なもの、欲しいものを購入できる請求権です。
「何を言っているのかわからない!」
という方のために、もう少し詳しく説明します。
例えば今あなたが40歳として、毎日コンビニでお茶のペットボトルを買うとします。
値段は150円です。
仮にあなたが70歳になったときに、同じお茶はいくらで買えるでしょうか?
分かりませんよね。
100円かもしれないし、インフレが進んで1500円かもしれない。
年金が積立方式とすれば、あなたのお金は自分が積み立てた金額しかありません。
お茶が1500円なら、お金が不足して4日に一回くらいしかお茶を飲めないかもしれません。
物価が大きく上昇していれば、自分の年金原資は思っていたよりも早くなくなってしまう可能性があります。
70歳で4日に一回ならば、90歳になるとお茶は飲めなくなるかもしれません。
賦課方式はこのリスクを避けるために、現役世代から賃金の一定比率を拠出してもらって
年金の受給額に充てるシステムです。
大切なことは賃金がインフレに応じて上昇するということです。
現役世代の所得に比べて受取金額が50%を維持できれば、最低限の生活は可能ではないか?
というのが5年ごとの財政検証で見直されているポイントの一つです。
これだと90歳になっても、少なくとも半分の分量のお茶は飲めることになります。
そのうえ賦課方式だと現役世代が拠出を続けるので、積立方式と違って、一人一人の寿命は
関係ありません。
少子高齢化について言えば、賃金のうちの一定割合を拠出する賦課方式は確かに影響を受けますが、積立方式も同じように影響を受けます。
人口が減少して国力が低下して賃金水準が下がっていけば、自分が積み立てる年金原資も
減っていくはずです。
<経済成長>
話が飛ぶようですが、年金問題を根本的に解決するためには、経済成長を続けて賃金水準を上げ続けることが最も重要です。
当たり前のことのようですが、もしもこの解決方法が自明ならば、経済成長を続けることを
阻んでいる障害物を一つ一つ取り除いていかねばなりません。
それはある年代層にとっては、非常な痛みを伴う方法かもしれません。
その痛みを恐れて、年金制度の小手先の改革論に走ることは回避すべきと思いますね。