先日、近くの馬見丘陵公園に聖火リレーを見に行きました。
ナガレ山古墳前に少し前から聖火リレーの交代ポイントに陣取って待っていましたが、
平日だったからか聖火リレーの走者交代直前まで閑散としたものでした。
しばらく待っていると、とことことトーチを持った女性の走者がやってきて、係員らしき人の説明を聞いていました。
次に女性5人くらいの「盛り上げ隊」がチアダンスのようなものをやって盛り上げて、さっと帰っていきました。
5分くらいしてから、大勢の関係者と警察官に囲まれた高齢男性の聖火走者がゆっくりやってきました。
ランナーの周囲に関係者が多すぎて、ランナーがよく見えません。
大勢の関係者に囲まれて、2人の聖火走者は聖火を引き継ぎ、高齢男性はお役御免で
近くで待っていたお孫さんたち?と記念写真を撮っていました。
女性の走者は少し走って、次の走者に聖火を引きついて、これまたお役御免とのんびり歩いて帰っていきました。
なんとものどかな聖火リレーでした。
1964年の東京オリンピックの時は、小学校から全校児童が聖火リレーを見に行きました。
沿道は鈴なりの人だかりで、子供たちは学校で配られた小さな日の丸の旗を一生懸命振って聖火ランナーに精一杯の声援を送ったことを覚えています。
57年前のオリンピックは、日本が昇龍の如く天に駆け上がっている時代でした。
「坂の上の雲」を見て、ある人は歩き、ある人は走って目の前の坂を上っていました。
坂を駆け上がる「上り坂」から、「下り坂」に変わったのはバブル崩壊が契機でしょう。
実際には、経済成長や人口動態はすでに「上り坂」から「下り坂」に向かっていましたが、
人々のメンタルが逆転したのはバブル崩壊です。
私は1990年11月に東京を離れて米国に赴任し、1997年3月に奈良に帰国しました。
帰国して関西の街並みを見て、旧知の人に会って思ったことは、まるで「別の国」に
やってきたみたいだ・・ということでした。
東京も同じですが、関西は大規模な開発が至る所で行われて、すっかり街並みが変わっていました。
道がなかなか覚えられなくて、迷子になりそうでした。笑
街並みよりももっと変わったのが人々のメンタルでした。
特に感じたのが、バブル以前に存在した人々の寛容さがほとんど無くなっていたことです。
これには驚きました。
私だけの感覚かもしれませんが、ひたすら「効率」「規則」や「目標達成」が重んじられて、寛容な自由主義の国に帰ってきたつもりが、厳格な社会主義か共産主義の国にやってきたように思いましたね。
職場では、必要な技能(IT, 英語,など)の取得や高い知識レベルを一方的に厳しく要求するだけで、付いてこられない者は容赦なく振り落としていく。
体調を壊そうが、うつになろうが、切り捨ててどんどん進んでいく。
特にリーマンショックの後は、このような傾向がより鮮明になったように思います。
少し極端な表現かもしれませんが、排他的なメンタリティーが充満していたような気がします。
果てしない締め付けと切り捨ての結果、世界のトップ企業に日本企業の名前が消えて久しくなり、政府はワクチンの供給も接種もままならない無残さを晒しています。
そもそもワクチンが迅速に製造できないのですからね。
接種が遅れるのも当然です。
現代の日本人のノーベル賞受賞は昔の成果であり、科学の基礎研究が脆弱なことはかねて警鐘が鳴らされていました。
将来のためにお金を有効に使わなかったおかげで、ワクチンの輸入や接種体制つくりに巨額の費用が掛かり、その費用は今後おそらく増税となって国民に返ってくるはずです。
全く後ろ向きのお金の使い方ですね。
今回、奈良の田舎ののんびりした聖火リレーを見ていて、走る人も見ている人も、少しも肩に力が入っていないことに気づきました。
肩に力が入っていたのは、不必要なほど多数の関係者と警察官でした。
「そんなに一生懸命やらんでもええやんか~」
という声が聞こえそうでしたね。
企業も国家も肩の力を抜いたらどうでしょう。
肩の力を抜いて力が入らずに、競争に負けるなら負けて、
今のトップにいる人達が全部敗北して
みんな居なくなったら
そこから新しい国がスタートするかもしれません。
今年のオリンピックが開催されてもされなくても
成功しても失敗しても
この国の経済と政治をここまで引っ張ってきた人たちが
責任をとって消えてくれるならば
2つ目のオリンピックは
意義深いものになるかもしれませんね。