荒川和久・中野信子著「「一人で生きる」が当たりまえになる社会」を読むと、結婚の動機について面白い意見が書かれています。
極端に単純化して言えば。男性が結婚しないのは、自分のお金を自由に使っていたいから、
女性が結婚したいのは男性が稼ぐお金を使いたいから・・というのです。
(あくまで一つの、しかし重要な動機というとらえ方です)
女性側からの反論がありそうですね・・という問いに対して
荒川さんは「女性が結婚するときには男性の年収の基準がありますね。これは
絶対に無くならない基準の一つではないでしょうか?」と述べています。
結婚を考えている女性にとって、
結婚相手を選ぶときに男性の年収はやはり重要なのでしょうね。(笑)
この書籍の中で、荒川さんは全体的に非婚化が進む理由の一つとして、女性が自分で稼ぐ
ことができるようになってきて、自分で自分のお金を使えるようになったので結婚の必要性が低下したのではないかと推論しています。
(アンケート調査によれば、この傾向が強いのは仕事が得られやすい首都圏の女性です。)
つまり女性の「稼ぐ力」が大きくなったことで、結婚は徐々に「オワコン化」(終わったコンテンツ化)しているという意見ですね。
しかし実際には多くの人が今でも結婚するのは、世の中の同調圧力とともに、男女(とは限りませんが)愛情の力によるところが大きいと思います。
異性や将来生まれてくるだろう子供への愛情は自然な感情ですからね。
でも残念ながら異性への恋愛の力は長くは続きません。
荒川さんの調査によると、おそらく異性への愛情が低下する結婚5年後あたりに不倫や離婚が多いそうです。
「愛情が覚めれば、残るはお金という現実」が本当であれば寂しいですね。(笑)
男女の賃金格差を前提にして考えれば、男性が逃げて女性が追いかけるという考えは、もしかしたらあり得る考え方です。
この書籍の中でも、女性から結婚を切り出すことが案外多いとのコメントが書かれています。
私には少し意外ですね。
テレビや映画で男性から女性にプロポーズするシーンの影響でしょうか?(苦笑)
それならば、男性にお金が無くなったら「金の切れ目は縁の切れ目」になるのでしょうか?
定年退職が近づき、老後の生活不安が心をよぎると、女性側に結婚前と同じく男性の年収基準が復活することはあるのでしょうか?
ご主人が定年退職して勤務先の給与収入を失うことが現実化してくると、公的年金、退職金、企業年金など老後の収入について(心配になって)俄然関心を高くなるかもしれません。
しかし定年退職後も男性がある程度の経済力を維持しなければ、魅力が大きく低下するならば男性は相当努力が必要です。
しかし現実には定年後には生活できるだけの収入を維持するので精一杯の方がほとんどのような気がします。
定年後の生活には、もしかしたらお金以外の要素が大きいのかもしれません。
私の経験と観察によれば、上手くいっているように見えるご夫婦の老後の生活は、現役時代に比べて贅沢しなければそんなにお金はかからないのだから、もらった年金の範囲内で楽しく生活する方法を夫婦で話し合って決めています。
今更夫婦で見栄を張ることもないと割り切ることができれば、思い切って生活をグレードダウンして、不要なものを断捨離してしまえばよいと思いますね。
定年前はお金のことを心配していても、必要な手立てを講じることができたならば、定年後はやるべきことややりたいことをお互いに見つけて、生き生きと過ごしているご夫婦が沢山おられます。
まるでお金のことはすっかり忘れているようにさえ思えます。
(決して忘れてはいないと思いますけどね 笑)
でもそのような夫婦の協力と話し合いができるようになるために最も大切なことがあります。
それは「お互いへの感謝」です。
長い人生をとも歩んできたことへの「感謝」があって、初めて定年退職後に幸せで精神的に安定した生活を開始できます。
30年以上一緒に生活して、お互いに相手に感謝して相手を尊重できるかが、幸せな老後生活を送るうえでのカギになります。
定年前にお金の心配をするあまり、やみくもに節約してお金を貯めようと思っても、
なかなか思うようにはいきません。
しかし配偶者への感謝と同じように、お金にも感謝して使ってあげることで、不思議なことに、お金はまたその人のところへ帰ってくるもののようです。
これは何もお金そのものが帰ってくることとは限りません。
例えば寄付をしたときは、(所得控除は別とすれば)直接お金が帰ってくることはありません。
自分のことで恐縮ですが、一例をあげると、
東日本大震災の時に、何かできることはないか?
と考えて、できる範囲で寄付をすることにしました。
やり方は「1キロ走ったら100円として月間の走行距離を毎月寄付する」というものです。
妻に話したら「自分もやってみる」ということで走り出して、月間2万円ほどの寄付を始めました。
そうすると二人合計で月間200キロは毎月走ろうという意識が出てきて、ランニングを継続することの大きな励みになりました。
寄付が念頭にあると、いつもではないのですが
「1キロ走るごとに寄付が増える、感謝が増える」
と思いながら走ったことを覚えています。
現在は毎月定額で寄付していますが、元気に走れることへの感謝の気持ちは持ち続けています。
当時ランニングを始めた妻は、今でも「月間フルマラソン」を目標に走り続けています。
寄付をしたからといって、我々夫婦にお金自体は帰ってきません。
しかし、寄付を通じて感謝することができたこと、
ランニングを継続することでストレスが少なくて健康な生活を送れることは、
寄付を始めたことの大きなリターンです。
そしてなによりも思うのは「感謝」の心は、やはり心の余裕がないと生まれないということです。
逆説的になりますが、心の余裕ができれば、感謝の心も生まれ、お金への考え方も変わってくると思います。
精神論みたいに聞こえますが、実際に「感謝」の気持ちで生活していると、自分にとって
「良いこと」が起こるような気がしますね。