10数年ぶりに「大仏さん」にお参りをしてきた。
奈良に20年以上住んでいて「大仏さん」は身近に感じるが、それゆえか、拝観料(600円)を払ってお参りはしていなかった。
奈良公園には、年に数回行く。
半分はFP協会奈良支部のセミナー、あとの半分はランニングだ。
奈良マラソン、若草山・春日大社原始林トレイルランニングなど。
奈良県ではコロナ禍は多少落ち着いてきたようだが、依然として外国人観光客が減っていて、きっと鹿もヒマだろうと思い、同じくヒマ人仲間として久しぶりに鹿の顔を見に行ってみた。
ところが、以前ほどではないもののGo To トラベルの影響か、観光客らしき人々で東大寺を含む奈良公園近辺は、思いのほか賑わっていた。お土産店のおばちゃんもニコニコして(日本語で)お客さんになにやら説明していた。近くで鹿が満足そうにおばちゃんを見ていた。(笑)
東大寺に向かう登大路では、鹿せんべい屋さんに人と鹿が群がっていた。
「観光客が減ったら鹿が鹿せんべいを食べなくなった」というのは、無責任な噂であることが判明した(笑)
東大寺は昨年の奈良マラソン10キロを完走した妻の応援に来て以来だ。
今年になり、コロナ禍が始まってからほとんど外に出なくなってしまった。
FP協会のセミナーも中止になり、同じく奈良マラソンをはじめ、たくさんのランニング大会も中止になった。
そのような目で東大寺大仏殿を見ると、8世紀に聖武天皇の発願で製作された廬舎那仏は、12世紀の平重衡の兵火や16世紀の三好・松永の戦い(「麒麟がくる」でやってますね)で損傷を受けたあと、18世紀初頭に江戸幕府の力で現在の形に再建されるという歴史をくぐってきている。
「大仏さん」にしてみれば、眼前が賑わっているほうが稀だったのかもしれない。
「大華厳寺」(2006年に新調された)の扁額が掲げられた南大門を過ぎると、鹿が観光客を足止めしている風景にぶつかった、鹿はおとなしくて、お辞儀をしながら近づいてきて、頭をなででやると「なんだ、餌をくれないのか」という顔もせずに次の人間に向かってゆっくりと歩いていく。
東大寺に入ると拝観チケットを購入するのだが、6つある窓口はソーシャル・ディスタンスを守るため1つ置きに開いている。入り口を入って、大仏殿の正面に向かう。江戸時代の再建では、横幅は奈良時代の大仏殿の3分の2になったそうだ。お金の関係もあるが、長大な木材の手当てが十分できなかったらしい。(未確認情報 笑)
「大仏さん」はかつてと変わらず(当たり前だが)巨大で優しい。
ネットで調べると、建立当時には延べ270万人の人が作業にかかわったと書かれている。
別のところで読んだ記憶では、当時の日本の人口が700万人くらいと推定されていたそうだから、以下に国力を尽くした大仏建立だったかがわかる。
大仏建立の直後(聖武天皇の死後)に起こった橘奈良麻呂の乱で、奈良麻呂は「大仏建立に伴う庶民の窮迫」を乱の理由の1つに挙げている。奈良麻呂が本当にそう思ったかは別にして、当時の国民生活への影響は大きかったようだ。
廬舎那仏の左右には、虚空蔵菩薩像と如意輪観音像が配置されている。これらは18世紀中ごろ江戸時代に京都の仏師が30数年をかけて作成したものだ。
これらの3像の周囲には、お約束の四天王が置かれている。
四天王で最も有名なのは、同じく東大寺戒壇院にある像だが、これらは160センチくらいの高さなのに比べて、大仏殿の四天王は巨大だ。広目天(西を守護)と多聞天(北を守護、毘沙門天ともいう)は全身の立像だが、残念ながら増長天(南を守護)と持国天(東を守護)は頭部のみが残されている。
一般に仏像の顔は優美で慈愛に満ちていて、鈍感な僕は「どれもこれも同じだなあ」と思っていたのだが、四天王の顔をまじまじと見ると、思わず、その怒りや内に秘めた気迫に打たれてしまった。
小学生の頃に、学校から遠足か何かで東大寺に来て柱をくぐった覚えがある。
探してみたら、やっぱり柱があったが、現在はコロナ禍のためくぐれないようにしてあった。
大人の身体はくぐれるのかな?(笑)
東大寺を出て、まっすぐ鷺池に向かった。
浮見堂を見たことが無かったので、行ってみた。
奈良公園の散歩道を歩いていると、あまり人も来なくて芝生に鹿がのんびりと草を食べていた。
たくさんの鹿の糞が落ちていたが、奈良公園には同じくたくさんの糞虫がいて処理してくれるそうだ。
小鹿もいた。
すると小さな子供が小鹿を追いかけて走っていく。
小鹿も走って逃げる。小鹿は四つ足でぴょんぴょん飛び跳ねて逃げる。
奈良公園で鹿が走るのを見るは珍しい。
小鹿は素早くて小さな子供の足では到底追いつかない。
安全なところまで逃げた小鹿は、立ち止まって警戒した目で子供を見ていた。
しっぽがピンと上がって、白いお尻がハート形になっている。
かわいい。珍しいものを見ることができてよかった(笑)
浮見堂には人影も少なく、静かだ。
10数年前に仕事で杭州に行ったときに、西湖のほとりに同じような堂が立てられていたのを思い出した。
中国の西湖は秦の時代から歴史に登場し、唐代には白居易の詩に読まれた有名な湖で、現代でも中国有数のリゾート地だ。
浮見堂は大正時代に建てられたので、西湖とは直接の関係はないが、なんとなく日本人の心象風景には中国古来の建物が似合う気がする。
浮見堂からは「ならまち」を目指して歩いた。
久しぶりに「江戸川」のウナギを食べようかと思った次第だ。
奈良ホテルの近くを歩いていると、道路の真ん中に「鹿に注意!」の看板があった。
奈良らしいなあ(笑)
でも本当に鹿が車にはねられる事故が多いそうだ。
米国にいるときに、運転中に自動車とヘラジカがぶつかった人の話を聞いたことがあるが、車は見事に大破だったそうだ。
「江戸川」では「大和牛すき焼きご膳」を食べた。
ウナギを食ってやろうと思ったのだが、ウナギばかりたべるのはしんどそうかなと思ってしまったのだ。
胃袋もトシを取ったということだ(笑)
「江戸川」は下御門商店街の角にあったのだが、狭い商店街は、すっかり「密」状態だった。
「どこからこんなに人がわいてきたのかな?」
自分もその中の一人ということをすっかり忘れてつぶやいてしまった(苦笑)
下御門商店街を上っていくと、JRに向かう道との角に「中谷堂」があった。
お餅の速突きで、よくテレビ番組に出ている店だ。
黒山の人だかりだったが、人ごみは嫌いなのでスルーして近鉄奈良駅に向かった。
駅では、名物「大仏プリン」を買って帰宅した。
久しぶりに出会った、「大仏さん」と鹿に癒されて、幸せな気分で帰途に就いた。