• 定年男子のランとマネー

大人気ドラマ「半沢直樹」が終了して、メディアのあちこちに記事やコメントが出ています。

僕は、当初あまり熱心な視聴者ではなかったのですが、「銀行」という舞台にとらわれず「ノーサイドゲーム」や「陸王」と同じく、大きなふり幅で左右に振り回してくれるエンタメとしてみたら、面白かったですね。

ドラマでは、歌舞伎役者さんたちを中心とした「顔芸」が話題になっていましたが、僕が気になったのは、「バンカー」という言葉です。

英和辞書を引くと、「バンカー」とは「銀行家」と訳されていて。「銀行員」は「Bank Clerk」と書いてあります。(研究社 新和英中辞典 第7版)

実は、若いころ(20歳代)に銀行員としてスペインに駐在していました。

若く未経験だったのですが、顧客であるスペインの政府系企業の部長クラスに、自分のことを大きく見せるためにバンカーと自称していたのです。

彼らの中には、名門の貴族や伝統ある家系の一族や、名刺のタイトルに博士号を付けた人たちもいて、初めての海外勤務で背伸びしていたのでしょうね。

あるとき、提携先の銀行の知人と話していた時に、「バンカーは資本家のことで、銀行に勤めているだけではバンカーとは言えないよ」と言われて、恥ずかしくなった記憶があります。

「ピタゴラス流経営術」を書いた、作家の加藤廣さんは、長く中小企業金融公庫に勤務されていたのですが、金融業について面白いことを書かれています。

「金融は、キリスト教徒によって、千年以上にわたって『賤業』と卑しめられ、当時賤民として差別されていたユダヤ人だけに許された業種でした。」(同書65ページ)

日本は明治維新後に急造で金融業が始まったので、「(銀行)経営者はズブの素人で数字に弱い。そのくせ役人にはペコペコして頭が上がらない。その反対に、下には結構,頭が高い。」(同書66ページ)

銀行にお上意識が強かったのは、明治以来の伝統のようです。

「失われた20年」以降は、銀行員で「下には結構、頭が高い」バンカー意識を持っている人は少ないのではないかと思いますが、知り合いの話では、テレビに出ていたクラブのママが「あんなバンカーさん、お客様の中にいます」と言っていたとか、ある記事で原作者の池井戸潤さんが知人と話していて「あんな人います」言われて驚いたとか・・(笑)

スペインの後、アメリカに赴任して感じたのは、「縦より横」ということです。

日本のように、どこどこ会社の何たら部の部長や課長という区分けではなくて、

不動産なら不動産業界で、ビジネスプランを立ち上げる人、設計する人、建物を建てる人、テナントを集める人、資金を出す人などが分かれていて、それぞれが自分の仕事(ジョブ型?)を担当するのですが、面白いのは、それぞれの役割の人が入れ替わることがよくありました、

銀行に勤めて不動産融資をやっていた人が、ビジネスプランの会社に転職したり、ファンド立ち上げをやったりして、会社や職種にこだわらず、不動産という業界で自分の得意技やキャリアアップを求めて水平方向に職場を変わっていきました。

つまり、「銀行員」などという言葉へのこだわりは全くなくて、たまたま一時期銀行で融資をやっているという感じでしたね。

もちろん、ロックフェラーなど、本当の資本家は違うのでしょうけれど、この経験で僕の中では「銀行員」へのこだわりは無くなって、「銀行という企業に勤務する会社員」という自覚が生まれました。

簡単に言えば、お客様とは傲慢でも卑下でもなく、対等にお話ししよう・・ということです。

余談ですが、銀行を退職した後も、これは続いていて、年下の(たいていの人は年少になりました 苦笑)知人友人とも対等に接するように心がけています。

ところが、アメリカから帰国すると、やはり「銀行員=バンカー」という意識を持った方がとても多くて感覚的に話が合わずに困惑した記憶があります。

帰国してから20年以上たって「半沢直樹」を観ていると、その時の困惑が思い出されて「半沢の言うバンカーという言葉は、パロディーで遊んでいるのだろうな」と思いつつ、

新聞記事で「最後のバンカー」などという言葉が出ているのを読むと、世間の意識(新聞記者の意識??)は変わっていないのかな?とも思いますね。

菅内閣が出来て、地銀の再編などの言葉がメディアを賑わしています。

金融は確かに経済の根幹ですので、経済成長や地域の発展に貢献するために改革は必要と思います。もちろん職務への誇りは大切ですが、できれば、改革の時に「役人にはペコペコして頭が上がらない」バンカー意識は捨てていただくと、よりオープンな改革や改善が出来るのではないでしょうか?


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