• 定年男子のランとマネー

アメリカ合衆国大統領選挙の年になりました。

共和党はトランプ大統領、民主党は未定ですが、バイデン候補がトップですね。

今日は大統領選挙を前にして、アメリカの建国以来の歴史と、二大政党制について、アメリカの南部と北部という観点から考えてみたいと思います。

アメリカ合衆国は世界最強の国家ですが、振り返ってみれば、高々300年前にイギリスを中心とした西欧からの移民が社会を形成し、約160年前に起こった南北戦争の結果、ようやく統一国家として歩みだした国です。

したがって、国内のあちこちに建国のころの様々な葛藤の残滓を色濃く残している国でもあります。

その中で、もっとも特徴的なことの一つが、南北問題と言ってもよいと思います。

僕自身は1990年から1997年まで、アメリカ南部であるジョージア州アトランタ市に住んでいたので、どちらかというと南部寄りの立場でお話ししたいと思います。

さて南部といえば、皆さんは何を思い浮かべられますか?

映画「風と共に去りぬ」でしょうか?

「アンクル・トムの小屋」に代表される黒人奴隷への人種差別?

ニューディール政策の時のテネシー川開発公社(TVA)でしょうか?

それともコカ・コーラなどが本社を置く大都市?

または、防衛・軍需産業の拠点?

どれもが南部です。

アメリカ合衆国建国前の17世紀初頭に、イングランドから移民がアメリカにやってきて入植しました。

ピルグリム・ファーザーズとかファウンデーション・ファーザーズとか呼ばれる人たちです。

この人たちは、主に17世紀にやってきた3つのグループと、18世紀半ばにやってきたグループに分かれます。

この4つの集団について、簡単に振り返ってみたいと思います。

<ポイント1>

アメリカ合衆国=移民国家

主要な移民勢力⇒イングランドからやってきた4つの集団

出身地   特徴     着地

ロンドン東部  ピューリタン   マサチューセッツ  北部  1629~1640

ロンドン南部  王党派      ヴァージニア    南部  1642~1675

北ミッドランド クエーカー    ペンシルバニア   北部  1675~1725

英国国境地帯  ボーダー移民   主に南部      南部  1717~1775

この表を見てわかることは、イギリスで宗教的な迫害を受けた人々が北部に入植し、政治的経済的な理由で移民した人が南部に入植したことです。

イギリスからアメリカへの移民

(出典:user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2015-07-06-1.html )2020/03/09)

このあたりの事情は、同時期のイギリスの歴史を並べて観ると分かりやすいですね。

1600年東インド会社を設立する。
1620年ピューリタンが北アメリカに移住。
1640年ピューリタン革命がおこる。
1649年チャールズ1世が処刑される。清教徒革命、王政を廃し、共和制へ。 (クロムウェル護国卿)
1660年王政復活、チャールズ2世即位。
1688~1689年名誉革命と権利章典の交付。
イギリス議会政治の定着。
1707年イングランド、スコットランドを合併。
グレート・ブリテン連合王国が成立。
1760年頃~産業革命がすすむ。
1776年アメリカ13州の独立。イギリス、植民地アメリカを失う。
このころイギリス国内で産業革命が進行。

始めに国王派(王党派)に迫害された清教徒(ピューリタン)のうちの一部が1640年までにアメリカ大陸北部に脱出する道を選びます。

1640年から清教徒が優勢になると、今度は王党派の一部がアメリカ大陸南部に脱出します。

ロンドンの政治が落ち着くと、今度はロンドンから100キロ以上離れた北部で起こった新興宗教であるクエーカー教徒が迫害されてアメリカ大陸北部に移民します。

それとは別に、イングランドがスコットランドや北アイルランドを合併してグレート・ブリテン連合王国を形成する過程で、3国の国境(ボーダー)地域が無法地帯化し、たまりかねた農民たちがアメリカ大陸南部広域に移民しました。

結果的に、イギリスからバラバラに移民した集団が、結束してイギリスからの独立を勝ち取ってアメリカ合衆国を建国するのですが、もともとがバラバラな集団なので、建国してもなかなか一つには纏まりませんでした。

彼らは、もともとはこんな集団なのです。

A.ピューリタン(清教徒)⇒王党派から迫害 「丘の上の都市」建設

 英国国教会内の改革派で、国教会から分離を意図した人々

 「最後の審判」を待つ間に、現世で聖書に忠実な生活を送る

 イギリスは彼らにとり捨て去った場所です。

B.王党派⇒清教徒から迫害 英国貴族生活の再現

 清教徒革命で追われた王党派。貴族と年季奉公人から成る。

 家父長社会。イギリス貴族社会の再現

 イギリスは懐かしい故郷です。

C.クエーカー教徒⇒清教徒と王党派から迫害 自分たちだけの宗教生活重視

 1647年ごろに布教が開始されたが、清教徒とは相容れず、

 王党派からも迫害された。(新大陸でも迫害された) 

 王室や国家の権威を認めずに、納税も拒否

 イギリスは捨て去った場所です。

D.ボーダー移民⇒英国国境無法地帯から避難 金銭的自立を求める

 自立心が強く、無法地帯に慣れている(悪事に対しては素早く報復)

 荒地や山岳地を含む南部の広い地域に分散

 イギリスは捨て去った場所です。

(to be continued)


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