母校である聖和小学校の65歳同窓会に行ってきました。
前回は還暦同窓会でしたので5年ぶりの開催です。
還暦の時が42名、今回が40名の出席です。
学年は5クラスあって、大体1クラスが40名だったので200名、約20%の出席率ですね。
聖和の名前は、校区に隣接する四天王寺を創建した聖徳太子の「聖」と、聖徳太子が定めた「十七条の憲法」にある「和を以って貴しと為す」の「和」からとったのもです。
学校は1909年10月の開校ですので、先月創立110周年を迎えたことになります。
一万人を超える卒業生の中には、先日亡くなった八千草薫さんがいるそうです。(知らなかった!)
出席してみて驚いたのは、地元の大阪市天王寺区とその周辺に住み続けている人が多いことです。
地元で長く住んでいる人たちは、偶然の出会いも含めて、お互いにあって話したり、連絡を取り合って小学校の恩師(現在98歳でご存命の小学校1年生の時の担任の先生)を訪ねたりして親愛の情を深めています。
同窓会でも恩師を訪ねた時の話になって、ほとんど目も見えず耳も聞こえない先生が、約60年前の生徒の名前と親の職業(自営業の職種)を覚えておられたことに感激して、先生と生徒が号泣したことが話題になっていました。
こういう話をいくつか聞いていると、育った地元を離れたがらずに、幼いころからの友人との関係を維持して生きる若い人たちを「マイルド・ヤンキー」と呼んで、さも新しい社会現象のようにとらえていることがおかしくなります。
大阪市内という比較的大都市の中でも、昔から地元を離れないで、友達関係を維持して生きている人たちはたくさんいるのです。
関西で言えば、京都生まれの人は京都を離れたがらないように聞きますが、京都に限らず、だれでも自分の生まれ育ったところで穏やかで充実した人生を送りたいと願うのは自然のことです。
東京は、地価の高騰による手狭な住居や相続税等の関係で、都心の自宅を何代にもわたって維持することがむつかしいので「マイルド・ヤンキー」は育ちにくいのだと思いますが、東京以外の地方では、生活していくのに大きな不満がなければ、ずっと同じ地域に住み続ける人は多いのではないでしょうか?
なんとなく、日本の「地方創生」が的外れで、上手くいっていないような感覚を持っていましたが、「マイルド・ヤンキー」のことを考えてみて、目新しい概念と言葉に振り回されているのではないのかなという感を強くしました。
ところで、同窓会は、昼食会でのお決まりの近況報告のあと、校歌を歌って中締めとなりました。
希望者でカラオケ店へ。30名くらいは参加したと思います。
歌わなくてもいいというので行きましたが、皆さんとても上手い。
僕たちはビートルズ世代なので、中学校から高校まで、友人同士でバンドを組んでいた人たちがいて歌ってくれ、それにどう聞いてもカラオケ慣れした人たちがいっぱいいて、僕のようなカラオケ不慣れ人間を楽しませてくれました。
でも選曲は、場を考えてか、やはり昭和でしたけどね(笑)
ここで終わりかと思ったら、三次会は喫茶店です。10名くらいでした。
僕はコーヒーを頼みましたが、同じテーブルの男性二人はパフェを食べていました。
ほかのテーブルでも、パフェやホットケーキを頬張る男女の姿が見られました。
(昼食でもカラオケでも酒を飲んでいたのに、甘いのもいけるんだ)
前期高齢者に怖いものなしですね(笑)
ここでは4人かけのテーブルでしたが、結構真面目な話をしました。
僕が書いた小説「DNAシーケンサー」について話したり、大学でバスケットボールのヘッドコーチをやっている人と、剣道7段の猛者がスポーツを通して選手が人間的に成長することを、自分たちの過去の経験をもとにして熱心に議論したりと多彩な話題でした。
個人的なことはあまり聞きませんでしたが、65歳ともなると、孫が6人いて最年長が20歳の人や、ずっと独身の人、何回か結婚している人など、いろいろな人がいて、それぞれが何気なく話す言葉の端々に、その人が潜り抜けてきた人生の荒波がうかがえて、とても楽しい時間でした。
5年ごとに同窓会を企画していただいている事務局のかた、司会やお店の予約と設定を行っていただいた方々に深く感謝します。
5年後も皆さんが元気で集まれるといいですね。