自身の論文を読み返してみて、筆者は23F事件を一つの国の歴史の流れのなかで浮かび上がった大きな泡がはじけたのだと思う。 30年前の疑問を自分なりに解決した喜びを静かに感じている。 現在の欧州債務危機を乗り越えて、これから …
続きを読む23F事件によって、国民がカルロス国王の真意を知ることとなった。 裁判を通じて軍人たちの醜い誹謗中傷が公となった。 フランコ旧体制を支えた権威は失墜し、崩壊した。 81年にカルボ・ソテロ政権がNATO加盟を決 …
続きを読む1980年終わりから1981年初めのスペインの政治情勢は、極めて緊迫していた。 度重なるテロの恐怖とスアレスのテロへの穏健な対応への怒りが軍人たちの緊張度を極限にまで押し上げていた。 異常ともいえる状況を解決に導けるリー …
続きを読むカルロスはフランコの後継者で軍の最高司令官という表の顔と、フランコ体制を破壊して民主化を推進すると言う裏の顔を、スアレスを利用して使い分けた。 スアレスが採った民主化推進策は極めて過激だった。 たとえば政治改革法案の了承 …
続きを読むこれは政治的巧者であるカルロス国王が、表の顔と裏の顔という二面性を使い分けていたためである。 本研究では彼の二面性を、個人の生立ち・思想・性格だけではなく、スペイン王家の悪しき歴史を打破するものとして捉えた。 前述のよ …
続きを読む更にフランコが武力で抑圧してきたカタロニア州やバスク地方に大幅な地方自治を認めたことが、かえって地方の独立運動を刺激した。 バスク独立運動派が起こしたテロは、フランコ配下だった軍人を主な標的にして多数を殺害した。 共産党 …
続きを読む国王カルロスはスペインの将来の発展と、王家の安泰のために、立憲議会制国家建設を企図した。 そのためにフランコの郎党(ブンカーと呼ばれる)と戦う人間を物色した。 白羽の矢は野心家スアレスに立った。 スアレスは、フランコ時代 …
続きを読む研究の内容 研究の対象とした「民主化移行期」は、スペインにとっても世界にとっても激動の時代だった。 1973年と79年の二度にわたるオイルショックと世界的な経済変動。 1974年に起こった隣国ポルトガルの軍事クーデター …
続きを読む研究の方法 フランコ総統の死去からEU加盟までの約10年間を「民主化移行期」と呼ぶ。 この期間の最大事件は、冒頭に挙げたクーデター事件(23F事件)である。 クーデターは結果的に失敗したが、スペイン国民に忘れがたい記憶 …
続きを読む研究の目的 研究を始めたころ(2011年)のスペインは、リーマンショック後に不動産バブルがはじけて得意の絶頂から奈落の底へ転げ落ちている最中だった。 スペインは400年前にも同じ局面に遭遇している。 無敵艦隊がイギリス …
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