4月20日、大崎のホテルをでて東京駅に移動。「平成」が終わり「令和」の時代になるので、平成最後の皇居を見てみるかな、と歩き出しました。
快晴のもと初夏の日差しを受けてのんびりした気分でした。
皇居の外周は、いつも通り大勢のランナーがゆっくりと走っていました。
「気持ちよさそうだな~」
ふと見ると、芝生の向こうに長蛇の列!
「インバウンド観光客だろうな。それにしても何のために並んでいるのだろう?」
列に近づいて、大きなカードを持った係員の女性に聞いてみると「皇居内部の一般参観」とのこと。
「そういえば、皇居の中はみたことなかったな。平成最後に並んでみるか」
僕は人混みと長蛇の列が大嫌いなのですが、このときは珍しく並んでみることにしました。
数か月前に読んだ「家康、江戸を建てる」(門井慶喜著)を思い出して、家康の事績を見てみたくなりました。
桔梗門から休憩所に入ると、20分くらい待たされました。
僕のカード番号は275番でしたが、そのあとも考えると400人くらいの参観者がいたようです。
皇居なので、安全管理に厳しいからか、事前説明と注意事項が何度もに繰り返されました。
初めは英語、次にスペイン語、中国語、韓国語そして日本語でした。
ツアーの出発は、英語ツアー、中国語ツアー、日本語ツアーの順番で、それぞれ100名程度が一団となってゆっくりと進んでいきました。
初めは石垣でした。
「島津藩が積んだ丸十字印のある石を見つけてください」
ガイドさんは、初老の方でしたが、なかなかユーモアがあって、ツアー客から時々笑いを取っていましたね。
少し行くと「富士見櫓」でした。
江戸城は、明暦の大火(振り袖火事)で天守閣が焼けてからは、天守閣が再建されなかったので(前出「家康、江戸を建てる」より)、将軍たちは富士見櫓に登って富士山などの景色を楽しんだそうです。
尚、現在は高層ビルに囲まれて、残念ながら富士見櫓から富士山は見えないそうです。(涙)
美しい櫓を過ぎると宮内庁庁舎が現れました。
「こんなところにあるんだ!」
考えてみれば、皇居の中で天皇陛下に近いところに宮内庁があるのは当たり前
ですが、この場所では、霞が関や首相官邸と十分な意思疎通を維持するためは、お互いの努力が必要でしょうね。
宮内庁脇の坂を登ると宮殿です。
一般参賀の時に、皇室ご一家が現れる出窓は、広場からとても近い距離にありました。広場の最大収容人員は2万人。
バチカン広場などから比べれば狭い感じですが、バチカンでは法王が高い所から群衆を見下ろすのに比べて、皇居の一般参賀は皇族が身近なので、こちらの方が日本の皇室にはふさわしい気がしました。
宮殿を過ぎると、二重橋(正門鉄橋)と伏見櫓を見てひきかえしました。
二重橋は、江戸時代初期の技術では、まず一度橋を渡して、その上に更に橋をかけることしかできなかったので、二重の橋になったそうです。
明治の初めに鉄橋に架け替えられましたが、形は踏襲されたようですね。
伏見櫓は、三代将軍家光のときに伏見城から移築されたと伝えられています。
小説などでは、家光は家康のことを慕っていたとされているので、家康のゆかりのある伏見城の櫓を思い立ったのかな・・と小説の筋のようなことを考えたりしました(笑)
そのあと、坂を下って庭園を楽しみ、再び富士見櫓の前を通って休憩所に戻りました。
トータルで1時間少し、2キロほど歩いて参観ツアーは終了しました。
丁度、予約していた新幹線の時間に間に合ったので、名古屋経由で奈良まで帰ってきました。
そのあとは、大和八木でFPのセミナーと懇親会に参加、自宅に帰ってゆっくりしたのは午後10時前でしたね。
いろんな人に会って、沢山会話をして、皇居内部まで見ることが出来たので、とても充実した旅でした。