今年に入って1月の平城京マラソン10K、2月の木津川マラソンハーフと泉州国際マラソンを想定して準備してきましたが、また失敗。
2月18日は晴れで気温は8度の予報だったので、海風を考えて防寒で準備しました。
ところが会場についてみると暑い!
急遽、上着は半そでTシャツ1枚にして、手袋も二重をやめて一つにしました。
靴下も二重でしたが、冷えるかもしれないとそのままにしました。
これが大失敗。
スタートして10キロ過ぎまではキロ当たり5分40秒くらいの4時間ペース。それでも抑え気味の感覚でした。
沿道の応援も途切れることがありません。
この辺りの登りでラン友のNさんが僕を見つけてくれました。
Nさんはフルマラソンが3時間40分のスピードランナーで、来週の東京マラソンで3時間半切を狙っています。
(個人的推測です 笑)
マラソンのことを良く知っていて、この後も3回応援してくれましたが、いつでも僕が苦しい時に現れて元気づけてくれました。
10キロはグロスで59分でした。ネットは多分57分くらい。
まあまあの入り方だけど、20キロから上げるかな?などと考えて15キロまで来ると
足裏が痛くなってきました。
この痛みは一年前の大阪冬の30Kで感じた痛みです。
あの時は痛みでリタイヤしようとしたところを、ラン友のMさんに喝を入れられて完走しました。
(その後しばらく不調でしたけど。笑)
今回は密かに自己ベスト更新を狙っていたので、痛いのを我慢してピッチ180を意識して走っていましたが、地面に足を置くと痛いのでだんだんフォームがブレてきました。
20キロはグロスで1時間58分でした。少し遅れ出していますね。
25キロまで我慢しましたが、コンビニのトイレに行って靴を脱いで中の靴下を一枚脱ぎました。靴下は濡れていました。
ベンチにいたおじさんたちに親し気に話しかけられたりしていたので、ロスタイムは5分以上かな?笑
ここからは痛みが嘘のようにキロ5分を切るペースで快調に走りだしました。
遅れを取り戻さねばという意識が働いていましたね。焦りです。よくないなあ。
この間にNさんに会ったのですが、余裕なく叫んだだけでした。
30キロは3時間6分でした。ロスタイムを考えれば、遅いけどまあまあですね。笑
ところが30キロを過ぎて再び痛みがやってきました。
ピッチを上げて走りたいけど、足裏を地面に付ければ痛いという情けない状況です。
沿道で一生懸命応援してくれる小さな女の子の手にタッチして気を紛らわしました。
この辺りからスカイブリッジ・マリンブリッジというモンスターブリッジが始まります。
ここは絶対に走り抜けてやろうと思っていたので、気合を入れて走りました。
最初のスカイブリッジの急坂でNさんが応援してくれました。
「もうすぐ頂上です。頑張って!」彼女は良いところに登場しますね。笑
次のマリンブリッジの途中で35キロ地点を通りました。
ここで決断して、もう一枚の靴下を脱ぎました。
数分のロスタイムですが、靴下なしの裸足で走ることにしたのです。
取り敢えず足裏の痛みは無くなりましたが、あと7キロでまた足裏が痛くなったら、今度は靴無しで走ることになります。
(アベベは偉大なランナーだったなあ)とバカなことを考えていると、
マリンブリッジを降りてからのロードの折り返し点で、
ラン友Mさんが「最後です。頑張ってください!」と喝を入れてくれました。
(Mさんとはいつも足裏の痛いときにあうなあ 笑)
一年前の大阪30Kを思い出しました。
さっきのコンビニで一時的に時計を止めたので、自分がどのくらいのタイムで走っているのかよく分かりません。
もう一度2本のモンスターブリッジを逆走してゴールへ向かうと、41.5キロ地点でNさんが応援してくれていました。
「足を痛めた!」と言ったら「大丈夫、大丈夫。もう少し」と返してくれました。
足が痛い?それがどうした!といった感じでしたね。笑
まあ、僕が応援していてもそう言うなあ。笑
ゴールして掲示板を見たら、4時間34分でした。ネットは多分4時間32分くらいだと思います。
昨年11月から3本目のマラソンですが、それぞれトラブルに遭遇して、結果は大体4時間半くらいです。
この辺りが実力でしょうね。
ゴール後にタオルとメダルをもらうと、「安藤さんのチームの方ですか?」
と声を掛けられました。
フェニックスTシャツは目立ちます。笑
お互いに笑顔で写真の撮り合いをしてして、足裏の痛みを忘れて、しばらくトレランの話をして別れました。
こういう出合いは気持ちが良いです。
因みに時間は正確ではありませんがGPS時計のデータは下記です。
4時間27分24秒、43キロ、キロ当たり6分13秒、
ピッチは173回/分、(波形を見ると30キロまでは178~180ペース、30キロ以降はボロボロ)
平均心拍数は146でした。