8月10日付の日経新聞電子版に大江英樹さんが「退職後だから楽しめる、生涯学習という贅沢」という文章を寄稿されています。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO19551570S7A800C1000000?channel=DF280120166581
FBでもシェアされていたので「僕も定年退職前後に放送大学院で修士課程を修了しました。」とコメントを書き込みました。
僕が仕事を終わったあとに大学で勉強したいと思ったのは学生時代の終わり頃でした。
当時シュリーマンの伝記や梅棹忠夫さんの「知的生産の方法」を読んで、仕事でお金を貯めて退職後は学習する日々を送りたいと考えていました。
そのことは結婚前に妻にも言ってあったので、50代の後半に放送大学大学院の修士課程に入学した時は「昔から聞いていたから仕方ない」と応援してくれました。
修士課程は国際政治と情報学の二つを終えることができました。
ゼミは東京だったので、奈良の田舎からの交通費を含めてお金は多少かかりましたが、指導教官の方々やゼミ仲間との議論や交流は刺激的で楽しいものでした。
(ゼミ仲間は中高年の官僚系の人やシステムエンジニアが多かったのですが)
大江さんは趣味の学習について述べられていて、やりようであまりお金はかからないと言われます。
確かにその通りなのですが、僕が大学院に4年も通った理由は、学習を継続するならば基礎をしっかり固めないと面白く続かないと思ったからです。
論文の読み方や書き方が分かっていないと論文の解釈や評価が不十分になるのではないか?
数学や語学の基礎がしっかりしていないと論理の組み立てができないのではないか?
などと考えました。
国際政治のゼミは中東とアメリカが話題の中心でしたが、サイバー戦争なども
テーマに上ったので、お陰様で自分なりの見方が少しできるようになりました。
情報学はビッグデータの解析が修士論文のテーマだったのですが、ゼミ仲間に数学(アルゴリズム)や機械学習を研究する人がいて、AIなどの話にも何とか付いていけそうです。
これらの学習は退職前の仕事にはほとんど無関係でしたが、論文を書いた経験はブログや
小説を書くときに役立っています。
またこれらの学習経験は当時の楽しい思い出であり、再度やりたくなったら戻れるかもという自信と、
新しいことに挑戦するときの原動力になっています。