梅雨の雨を自宅の窓から眺めていると読書したい気分になってきます。
そんな時はかつて読んだ本を本棚から引っ張り出して、適当にページを開いて読み出します。今日は池田清彦氏の「他人と深く関わらずに生きるには」が指先に引っ掛かりました。
この本は2002年に初版が出版されて2006年に文庫化されました。丁度バブル経済が弾けて、バブルで浮かれていた人々の凋落がはっきりしたころですね。
時代の雰囲気を現わしていたのか、第一章は「濃厚な付き合いはなるべくしない」という文章から始まります。
著者は「大人になっても、誰かに構ってもらいたい、誰かに面倒を見てもらいたい、誰かに甘えたい、というのは、赤ん坊の感性を引きずっているのである。」という前提から、
「大人になれば・・・自分がわがままを言えば、相手のわがままも許さざるを得ない」のだから「他人自分の心の中にずかずかと侵入されたくない人は、自分も他人に甘えてはいけないのである。」
こんなことは分かり切ったことですが、ここで困るのは「多くの人は、自分のことを理解してもらいたい、認めてもらいたい、ほめてもらいたいと思っている(らしい)」という相反する願望が心の中に生じることです。
著者はこう割り切ります。
「認めたり、ほめたり、というのはほとんどの場合は所詮はフリだから、余り深く付き合うと、ウソであることがばれてしまう、」
つまり「究極のところが、時分の心は自分だけのもの」なのだから、余り他人に近づくと幻滅したりケンカになって別れてしまいますよ、と言っているのです。
心理学でいうハリネズミのジレンマを思い出しますね。
ある友人に周囲との人間関係のことを聞かれたときに、僕はこのように答えたことがあります。
「24時間という制限の中で、人は自分自身と付き合っている時間が一番長い。
その時間を仮に起きている時間の半分とすると、あとの半分をどこに割り振るかは重要な選択です。
配偶者、子供、親などと考えてくると友達への時間は自ずから少なくなります。
大切だと認識している人と付き合うことに、多くの時間と意識を使うのならば、大切でない人に割り振る時間はほとんど無いと思いますよ。」