今年の一月に母親の一周忌を無事に終えることができました。
僕が住んでいるところは奈良県の新興住宅街なので、我が家はお寺の檀家ではありません。
もともとのお墓がある大阪のお寺からは遠隔地なのでお参りに行けないと言われており、父親の葬儀の時に近所のお寺を探して、そのまま母親の仏事もお願いしています。
そのお寺は新興住宅街の近くの旧村と呼ばれるところにあります。
お寺というのは仏教が盛んな時代に作られています。
日本最古のお寺は僕の家から10キロ離れた法隆寺ですが、そのほかにも奈良には古いお寺が多くあります。
僕の住んでいるところも聖徳太子にゆかりのある地名になっています。
そのお寺がいつ頃建てられたかは聞いていませんが、昔から代々継承されてきているようです。
でも時代の変化の波は確実にお寺に押し寄せてきています。
法事の時に聞いた住職さんのお話では、戦後すぐのころには旧村は比較的裕福で余裕があったので次々と分家をしたそうです。分家された農家の次男や三男は都会に行って成功した人たちも多かったので、近隣のお寺の先代の住職さんたちは都会までお参りに通ったそうです。
当時は「生まれ故郷に錦を飾る」という考えがありました。
ところが分家化が進んで、旧村には本家しか残らなくなり、さらに少子化と若い人が出ていったおかげで、大きな本家に棲む人が80代くらいの高齢者だけになりつつあります。
代々受け継いだ資産はあるのですが、田畑を中心とした不動産が多くて維持するのに相応のお金と労力がかかります。
僕たちが住んでいる住宅街は、かつては高台で水の便が悪く、おまけに風が強い場所だったので誰も住みませんでした。
今は開発されて人口も増えて大きな住宅地になりましたが、逆に旧村では誰も住まない空き家が増えているそうです。多分生活環境は昔と比べて逆転しているのではないでしょうか?
これは40~50年間の変化です。20歳で働き始めたら定年のころには環境が変わっていたということです。日本の戦後だけが激変時期だったということは多分ないでしょう。
これからの数十年も同じように大きな変化がやってくると思っておいたほうが良いでしょう。
これに対しての処方箋を示している方々が沢山おられます。
でも多分どの予測も当たりません。
ではどうすればよいのか?
この問題に正解はありませんが、これまでの人生で見てきたところでは、結局周りに流されずに自分の頭で考えて、淡々と生活してきた人が生き残っているように思います。
小学校で学習したようなことばかりです。
でもそれを丹念に長期間にわたり地道にやった人が強いのです。
そしてその人に資産運用や営業や発明などで何らかの才能が有れば成功してお金持ちになる。
そんなものではないでしょうか?