2017年3月18日に大学時代のサッカー部OB戦に参戦してきました。
サッカーは中学時代にクラスメートと遊びで始めたのですが、高校時代は遠隔地の受験校に通っていたこともあって中学も高校も部活はやっていませんでした。
しんどかった受験生活、と言っても当時の友達に比べたら勉強量が圧倒的に少なかったみたいで、ようやく入れていただいた大学で、今までやりたくてもできなかったことにチャレンジしました。サッカー部への入部です。
余談ですが、節目が変わるときに無謀なことにチャレンジしてしまう性格は年齢を重ねても変わりません。
就職してから最初の大切な面接で「スペイン語やりたい!」(専攻は英語です。笑 )
と宣言して、面接官から「パナマ行くか?」と言われて、一瞬詰まって「どこでも行きます」と勢いで答えてしまいました。
実際はパナマがどこにあるかわからなかったのですが、あとで蒸し暑くて大変なところと聞いて冷や汗を搔きました。
結果はスペイン赴任でした。駐在中は苦しいこともありましたが、おかげでスペイン語も習得出来て、
それ以降の人生の彩になりました。
スペイン駐在時代の疑問をもとに、30年後に修士論文を
纏めました。笑
大学の体育会サッカー部は、基本的にサッカー経験者が入部するところです。サッカー経験がなくとも、少なくとも運動経験が必要です。何もやっていなかった僕はえらい目にあいます。
まずサッカーが分からない。いや分かっていないことが自分で分かった。
運動、特に団体競技をやっている方は分かると思いますが、スポーツには流れがあります。阿吽の呼吸と言ってもいいかもしれません。
「このタイミングで、このスペースに、このくらいの強さのパスを出すと、受ける人のダッシュスピードとトラップのテクニックだと上手くいくだろう」ということを感じなくてはなりません。というかそれがサッカーの醍醐味です。
自分のイメージ通りに行くと「ヤッター!本当に嬉しい!」となります。
僕は「走れない。ボールを止められない。判断ができない。次につなげられない」と無いない尽くしで一年を終えます。僕が入部したときは4回生が7~8名いましたが、3回生と2回生は一人ずつでした。僕らは4名いましたが、4回生が卒業してしまうと「人手不足」です。
そんなわけで一回生から時々試合に出させていただきましたが、それは酷いものでした。当時の先輩方やチームメートには大変迷惑を掛けました。
一年後、すっかりプレーヤーとして成長した僕は・・・となればよかったのですが、残念ながら全然上手くならず、逆にドクターストップがかかります。
不整脈でした。
僕の代わりに2回生から同じクラスのサッカー経験者が入部しました。
彼はゴールゲッターとなったようです。ただクラスであってもサッカーの話はしません。こちらは落伍者ですからね。
もう一年がたって、彼はサッカー部を退部します。
その時「俺の代わりに、お前もう一回やれ」というのです。
医者に聞いたら「心臓は大丈夫でしょう」と言います。
「一年前の診断はなんだったの?」と思いながら、無謀にも再入部します。
3回生の一年間は必死で努力します。
一年下に6~7名のサッカー経験者が入ってきたので、相変わらず補欠です。たまに試合に出ます。
決心して入ったので一生懸命にやりました。でも相変わらずの下手くそです。
3回生の終わりで引退です。
でもこの時点でサッカー部に在籍していたので
「大学でサッカーやってました。」
と素知らぬ顔で言ってます。
節目は大事です。(笑)
サッカーは1990年代にアメリカに赴任していた時に再開しました。
(2017年2月に、米国駐在をテーマにして出版した小説です。
これも無謀かな? 笑 )
このときも無謀でした。やりたいと思ってサッカーを始めた大学時代と同じです。
違ったのは12キロ減量したことと走り込んだことです。走り込みすぎてランニングが好きになり、無謀にもフルマラソンにチャレンジして完走するくらいになりました。41歳の初マラソンです。
それ以降、21年間ずっと走っています。
帰国後も「草サッカー」チームに入って、奈良県の社会人リーグで45歳くらいまで登録選手としてプレーしていました。このチームも「人手不足」だったので、よく試合に出させてもらいました。
この期間はサッカーを堪能しました。
OB戦には最近20年近く参加しています。
僕が通っていた校舎は大阪市にあったので便利でした。
今は大阪府箕面市に移転し、しかも駅から遠い。
とぼとぼと歩きながら漸くグラウンドに到着です。
グラウンドではテントが建てられ、ゲームの準備が行われています。
今日のゲームは3部に分かれていて、まず東西対応で高齢者からOB同士で対戦します。25分ハーフの50分です。
74歳を筆頭に60代、50代、40代、30代くらいまでのOBがゲームを楽しみます。と言っても「昔取った杵柄」でみなさんだんだんと熱が入ります。
僕のポジションは右の前方でサイドバックやハーフから供給されるボールを前線に持ち込みます。
ドリブルやフェイントにワンツウーパスなど、昔覚えた技で相手のゴール前に切り込んでいきます。センタリングも何本も上げました。
得点には絡めなかったのですが、充実感は満載です。
フルコートなので結構な運動量です。他の選手をみてもダッシュやボールコントロール、ドリブルやフェイント、そしてシュートと多彩です。
途中で疲れて交代する人もいるし、プレーをしていてもミスのほうが多いのですが(笑)それも楽しみです。
1-1で引き分けました。
2戦目は若手OBと現役大学生のゲームです。これは観戦しました。
現役が翌日に練習試合を控えているため30分ハーフです。
白熱したゲームです。一つ前のロートル同士のゲームとは、かなりスピードが違います。結果はOBの勝利!現役大学生はショックだったようです。
最終戦は小学5~6年生15名と大人11名がフルコートにボール3個を使って15分ハーフのゲームです。
これは僕も出場しました。
でも小学生は侮れません。上手いし、速いし、何より元気です。サッカーが好きなんだという気持ちがダイレクトに伝わってきます。
ボールを受けると思い切り突っ込んでくるので、危険を避けるためにできるだけ譲ります。でもそれだけだと面白くないので、ルーズボールは競り合います。30分はあっという間に終わりました。
楽しかった。
ゲームが終わった後はOB総会と懇親会がありました。
僕が大学1回生の時に気にかけていただいた当時のキャプテンが、2~3年前に僕のプレーを見て「毎年上手くなっているなあ」と言ってくれました。
今年は「右サイドから沢山チャンスを作っていた」とコメントを頂きました。
65歳になられましたが、今でも元気でプレーされています。
(当時のキャプテンと2ショット)
当時のサッカー部の顧問だった先生が昨年と今年観戦に来られました。83歳です。
僕の学生時代に「君は手を抜かず真面目に走っているな」と唯一褒めていただいた先生と再会できたのもOB戦に参加できたからです。
アメリカ駐在時代以降はランニングを継続していて、最近はトレイルランのトレーニングもしているので、体幹や心肺も改善しています。
おかげで走れるし安定してボールをコントロールできるようになりました。そして余裕をもって周りを見てパスかドリブルか判断ができるようになりました。
「やっと今頃?!」
ということですが、アメリカでサッカーを再開してから続けていてよかったなということと、年齢を重ねても当時のキャプテンにプレーを褒めてもらって嬉しいな・・というのが実感です。
大学時代に無謀にもサッカー部に入ってよかったと思います。受け入れていただいた皆さんには感謝しかありません。
数十年前の「無謀」な決断は、お陰様で「良い果実」を産んだようです。