老後の生活をどこで暮らすか?
定年退職後の住居については、大別して田舎でのんびりと過ごしたいという人と、便利な都会で刺激を受けながら暮らしたいという人に分かれるようです。
自分自身が10年超を海外で生活した経験から言えば、かつて住んだ二つの国の大都市、スペインのマドリード市と米国のアトランタ市は、便利さの傍ら車で30分も走れば郊外の豊かな自然を満喫できました。
日本でこのような環境を求めるのならば、例えば各県の県庁所在地あたりでしょうか。病院や役所や文化娯楽施設があるので便利で相応に刺激も受けられるかもしれません。
住居の場所にもよりますが電車で30分くらい乗れば自然にも触れられるでしょう。先日老後の住みやすい街ランキングが発表されて島根県などが上位に入ったのは印象的です。
現在僕が暮らしているのは、奈良県北部の新興住宅街の一角です。
新興といっても開発が始まってから30年くらいが経過しているので、住民はやや高齢化しています。
平日に近くのショッピングセンターまで買い物に行くと、自分も含めて高齢者をよく見かけます。
高齢者が集まる場所といえば、かつては病院の待合室や図書館が多かったのですが、現在はスポーツジム、議会の傍聴席なども加わって多岐にわたっているようです。
厚労省の政策で急性期病床を減らして、慢性期の病気治療へのシフトを強めているためもあって、病院の待合室はかつてより空いています。
いまでも病院で混んでいるのは整形外科のリハビリです。多分腰痛や膝の痛みなど慢性的な痛みを抱える人が多いのでしょう。
平日に近くの公園や山をランニングしていても、散歩する高齢者によく出会います。でも平日に散歩している人を、時折スーツ姿でも見かけるので、常勤ではないが仕事をしている人も多そうです。
そのほかに写真を撮る人、絵を描く人、奈良らしく遺跡を訪ねる人など人々の楽しみ方は多岐にわたっています。
僕は自然派なので、自然に触れることは無条件に良いことだと思ってしまうのですが、中には自然が嫌いな人もいます。
そんな人は都会で環境に注意しながら快適に生活することを選ぶでしょう。
もっと年を重ねて身体が思うように動かなくなったらどうでしょうか?
便利な都会で医療や介護を受けて暮らすほうが良いのでしょうか?
でも都会は高齢者が増えすぎて、かえって高齢者のサービスが行き届かなくなるリスクがあるともいいますけれど。
ここからは個人的な経験談になります。
かつて都会に住んでいた両親を引き取って10年くらい介護を経験しました。
その時の経験から考えると、介護は基本的にプロに任せたほうが良いと思います。
認知症が進むと人格が変わるとよく言われますが、自分が子供のころに接した親のイメージが強く残っているので、まさに人格が変わってしまうと違和感や残念感といった感情が生じてしまいます。
どうしても感情にとらわれるので、スキルがあって冷静な専門家に適切な対応をしてもらって助かった部分が多かったと感じます。
もう一つ言えることは、施設に入ってもらうにしても、できるだけ自分たちが通いやすい立地がよいでしょう。
片親がいれば一緒に連れていくことの便利さもありますが、入所しても結構頻繁に呼び出しがあります。
子供が小さいころに保育園などで子供に何かあったと呼び出された経験をお持ちの方もおられるでしょう。それと同じようなことが老後の最終段階でも発生します。
例えば僕の母親が施設で転倒して大腿骨を骨折して緊急入院したのですぐ来てくれと呼び出されたことがありました。
そのときは僕が緊急性をよく理解していなくて対応がやや遅れたのですが、夜中に病院に行ってみると、血縁者が来て手術の同意書に署名をしないとなかなか手術をしてくれないので施設の人が帰宅もできずに困っておられました。(身寄りのない人など例外はいっぱいあると思いますが)
このような例もあるので、老後にどこへ住めばよいかの結論はなかなか難しいと思います。
まず金銭面の問題があります。
決意して引っ越した先で思わぬ事態に直面してトラブルに巻き込まれることもあるでしょう。
若くて体力気力があれば、トラブルに正面から対応するなり、再度引っ越して逃げるなりできますが、高齢だとそうするわけにもいきません。
いろいろ悩んで決心がつかずに、結局先送りして従来の住居に住み続けることになってしまいがちです。
ライフプラン設計といえば、定年までに老後のお金を手当てすることと考えられがちですが、終の棲家でどのような生活で一生を終わるまでを考えて、そこへたどり着くまでのお金のプランを考えるのが本来の姿だと思います。