• 定年男子のランとマネー

いよいよEU加盟です。

EU加盟

1985年6月に加盟条約に調印し1986年1月1日にEU加盟が実現した。1962年の初回申請以来、実に23年の月日が流れていた。

スペインにとってEU加盟は国民的悲願であり、加盟への反対運動はまったくと言っていいほど無かった。

楠はこれを「EU第一主義」と呼んでいる。少なくともEUの仲間から落伍しない。出来ればEUで確固たる地歩を固めることが「EU第一主義」なのである[1]

個性が強く分裂しがちなスペイン人を一つのベクトルに収斂し纏めたのがEUである。

現実面でもEU加盟の効果は大きい。資金調達に関して言えば、民間資金のユーロ加盟国からの調達は加盟前に比べて容易になった。これに加えて各種基金からの純受取額は1996-2003年の平均でGDPの1.1%に達した。これはEU加盟国の中で当時最大の金額であった[2]

EUの利点は、域内の最強国であるドイツ並みの信用でファイナンスが可能な点だ。加盟前までは、国際金融の舞台での調達に苦労があった国も、EU加盟国というだけで海外からの投資はもとより国内でも国債を発行して資金調達が容易になった。

これが1999年のユーロ発足後は加速することなる。加盟国ならばどこの国が発行してもユーロ建ての国債である。

一定の格付け得れば、リスクアセット比率がゼロとなるので欧州を主体に各国の金融機関がこぞって低格付けで高利回りの国債を購入した。

これらの資金がスペインを始め南欧諸国に入流することになる。一部の資金はスペインからオーバーフローして中南米に流れた。スペインの石油公社レプソルが、1999年にアルゼンチンの石油会社YPFを買収したのはその一例である[3]

1986年には日本の通産省(当時)が「シルバー・コロンビア計画」と銘打って、日本人高齢者の移住先として推奨するほど政治経済が安定した。

このようにして1992年の万国博覧会とオリンピックを迎えるころには、スペインはヨーロッパの一員としてふさわしい体制を形成していった。

EU加盟後のスペインを牽引したゴンザレス政権は、結局14年の長期政権となったが、長期政権の常として権力の腐敗が進み幾多の汚職事件が発生した。このころには社会労働党(PSOE)と国民党(PP)の二大政党制が定着する。

ゴンザレスの後は、アスナール政権、サパテロ政権を経て現在のラホイ政権に繋がるのだが、特に2008年のリーマンショック以降は、経済危機による失業率の上昇で人々の政治への期待感は著しく低下している。

それとともに、フランコ以降のスペインを変革し、裏面から支えてきたカルロス国王への忠誠心は、残念ながら冒頭で説明したように低下の一途を辿っている。

[1] 楠貞義「現代スペインの経済社会」勁草書房2011年p.181

[2] 楠 前掲書 p184

[3] 同上書pp.167-174


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