もう一つの課題は軍隊の近代化である。これはNATOへの参加によって解消が進んだ。
1981年10月スペインは議会の過半数の承認を得てNATO加盟を決定し、翌1982年5月に正式加盟している。
軍部の実情をよく知るカルロスは、フランコ在世時からスペインのNATO加盟を標榜し、文民統制を懸念するフランコ側近の顰蹙を買っていた。またスペイン国民の悲願であるEU加盟には、実質的にNATO加盟が前提条件になることをカルロスは十分認識していた。
ここでの問題は、1982年10月に政権を取ったスペイン社会労働党(PSOE)が党の主張として「NATO残留反対」を掲げていたということである。
ゴンザレス首相は、23F事件の原因である軍部の力を弱めるため、9つの軍管区を6つに減らすと共に、装備の近代化を進めて若い軍人たちの期待に応える必要を痛感した。
NATO残留の是非を巡る国民投票の実施と、その前に社会労働党の方針を180度転換させる決断がゴンザレスによって下され、それは国論を二分する論戦となった。
1984年12月の社会労働党大会でNATO問題が議論され、結果的にゴンザレス提案が可決されたが、労働総同盟のレドンド書記長があくまで反対し、それ以降社会労働党と労働総同盟の関係に深い亀裂が入った。
1986年3月、NATO残留の可否をめぐる国民投票が実施された。激しい反対運動や投票棄権の呼び掛けの中、政府提案は承認された。NATO残留が正式に決定した。
現在ではNATO加盟国としての是非を問う声は国内に皆無である。